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『リリィ・シュシュのすべて』 |
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その不思議なタイトルの映画を友達のカヨから手渡された時、サチは正直戸惑っていた。 「これね、すっごいいい映画だから。ユウコさんも後半ずっと泣いちゃったって…」 ますます参ったなぁ…である。パッケイジには田園風景。制服姿の少年。そしてあからさまなキャッチコピー。さあどうだ、懐かしいだろうの世界である。 でもせっかくだから…。 サチはビデオをデッキに突っ込んだ。 不思議な作りの映画だった。 ピアノの旋律と変換されて意味を持つタイプの文字。そこに映像が重なって、抽象的な話が進んで行く。 途中で文字を読むのに飽きてしまって、ぼんやりと6歳の頃を思い出した。 その頃サチは社宅住いで、近所には同い年の男の子の友達しかいなかった。「ゴム段」や「お絵描き」をしてる学校の女の子とはほとんど遊ばないで、毎日「けいどろ」や「缶ケリ」や「秘密基地作り」ばかりしていたような気がする。 いつだったか、近所の幼馴染み四人で手打ち野球をした時があった。手打ち野球とは、ゴムのボールを手で打ってみんなで拾うあれである。かけっこの速いマサルくんと難しい言葉をたくさん知ってるキミちゃんと、いつも意地悪ばっかりするあっちゃん。みんな四歳の頃から十束ひとからげで育てられて、お風呂もみんなで一緒に入ったし、マサルくんちにはお泊まりだってしたことがある。キミちゃんの幼稚園には、一緒にお迎えに行ったこともあった。 「サチ、おまえ最初に打てよ」 キミちゃんが言う。 「その代わりハンデなしな。俺らが打つ時はファースト守って」 意地悪なあっちゃんと違って、キミちゃんはそんな時さりげなくサチの味方になってくれる。「おみそ」じゃなくて「ハンデ」という言葉も、最初に使い始めたのはキミちゃんだった。思いっきり打たれた球が遠くに飛んでく外野じゃなくて、あんまり走らなくてもいい一塁でいいよ。そんなふうに、キミちゃんはサチを特別扱いしないで、ちゃんと仲間に混ぜてくれているようでいて、さりげなく庇う。そんなふうに甘やかされることを、サチはその頃覚えたような気がする。 だけどその日は風が強くて、マサルくんの打った球は風に乗ってサチの頭を飛び越えて行った。 「サチー、何やってんだよぉ!ちゃんと取って来いよなぁー…」 あっちゃんが機嫌の悪い声を上げる。 『なんだよー、あっちゃん怪獣のくせにさー…』 乱暴で、すぐにパンチとかキックとかをするあっちゃんは、影でみんなにそう呼ばれていた。サチは胸の中で毒づきながらピンクのボールを負いかけて行く。社宅の棟に挟まれた空き地から道路へ抜けると、ユウくんが立っていた。 『あ、ユウくんだ』 サチは何だか気恥ずかしいような気がして、パンツのゴムに引っ掛けて中に押し込んでいたスカートを慌てて降ろす。 「これ、サチコちゃんの?」 ユウくんはボールを差出しながら、ちょっとだけ眩しそうな顔をした。細くって白くって、体育はいつも見学してるユウくん。みんながサチを呼び捨てにしてても、ユウくんだけはいつもサチをちゃん付けで呼ぶ。男の子からは男女とか呼ばれていたユウくん。だけどサチはユウくんの手がちょっと羨ましかった。 ボールを渡してくれた手は、指が細くて、真っ白で、やっぱり漫画に出て来るお姉さんの手のようにきれいだった。サチは自分の埃と泥にまみれた手や爪が恥ずかしくて、そっとスカートの裾で手を拭う。けれどしっかり陽に灼けて、泥だらけの手はやっぱりユウくんのそれとは大違いで、何だか泣きたいような気分だった。 「あ、ごめん。ありがと」 「いいな、今度ぼくも混ぜてよ」 「うん。今度ね」 答えながらも、ユウくんは手打ち野球なんてしないだろうな、と思った。 「サチー、ボールあったぁ?」 なかなか帰って来ないサチを心配したのか、キミちゃんの声がした。 『知ってるよ、キミちゃんサチのこと好きなんだもんね。だってキミちゃんのおばさんがうちのママと話してるの聞いちゃったんだ』 「ごめんねユウくん。もう行くね」 何となく。ちょっとお姉さんになった気分で、サチは肩をそびやかして見せた。 女の子は、きっと「そういうこと」をそんな頃からちゃんと知っている。今ならそれがどういうことなのか判るけれど、その頃はとても漠然と。でも自分はちゃんと知っていた。 「ユウくんも、今頃はあの白い手で女の人を抱いたりするのかなぁ…」 ぼんやりと考えてみた。 もしかしたら「ピアノが似合いそうな手ね」なんて言われて、ちゃっかり女を口説いてるかもしれない。そうだったらいいな、そうであって欲しいと思った。 だって、あれからもう二十年も経ってるんだもの。 その証拠に、毎日砂団子を作って、何を混ぜると堅くできるか…なんて競争していたサチの爪には、綺麗にエナメルが塗られていて、もう二度と砂や埃に汚れることもない。 そういえばユウくんが自分たちと一緒に遊んだことってあったっけ。いつだって、日陰にいてドッヂボールや中当てをしていた自分たちを遠くから見ていた彼が、自分たちと一緒に遊んだことはなかったはずだ。そして、二度とそのチャンスはない。 一度くらい混ぜてあげれば良かった。ユウくんが走るところを一度くらい見たかったな。 なぜかふとそう思った。 気づくと映画はとっくに終わっていて、エンドロールの文字がぼんやりと滲んでいた。 サチはそれまで気づかなかったのだ。 自分が泣きながらその画面を見つめていたことに。 2003.4.1. 水無月朋子 |
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