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『プリティー・ウーマン』

 昔の女が夢中になっていたのを覚えている。現代のシンデレラストーリーと評されたその映画を、古谷はつまらない映画だと思っていた。
『…ありえない』
娼婦は娼婦でしかなく、みんな金にたかる蟻でしかない。そのことは、古谷自身が一番よく知っていた。
なぜなら。女に言うことはなかったけれど、古谷は月に一度『定例会』と称したバカ騒ぎを毎月開催していたから。

 金で買える女をうんざりするほど呼んで、頽廃の限りを尽くす。退屈を紛らわせてくれるものなら何でもよかった。混沌の中に自分を置いて日常を忘れる。そんなことをくり返しているうちに、馴染みになった女もいたし、一度顔を見せただけで二度と現れなくなった女もいた。中には気立てのいい女もいたけれど、所詮彼女たちは自分の財布の中身を狙ってくることに変わりはなかった。それでもいい。自分の自由になる女を金で買って、ホテルの部屋で乱痴気騒ぎをする。それが、若くして成功してしまったことへの重圧を捨て去ることのできる唯一の方法だと古谷は信じて疑わなかった。
そのことが原因ではなかったが、女とは別れ、それをとりたてて気にすることもなく時間が流れた。その間も定例会は毎月変わらずに行われ、その内容は回を重ねるごとにエスカレートして行った。

 そんな折、素人の小娘が古谷の前に現れた。早紀というその子とは仕事がらみで知り合った。古谷の事業のSPを全面的に請け負った広告代理店の接待の席で、彼女はふとした話の流れから「会社には内緒ですけど漫画を書いているんです」と言った。
「どんなの書いてるの?」
「三流のポルノですけど…」
へりくだった言葉とは対照的に、彼女の眼は好奇心と自信で輝いていた。地味なスーツの下に感じられる早紀の手足は驚くほど長く、服を脱がせたらどんなだろう、と古谷はふと考えた。古谷は自分の定例会の一端を披露し、嘘だと思うなら今度おいでよ、と冗談混じりに彼女を誘った。
「楽しそうですね。じゃ、そのうち混ぜてもらいます」
早紀はその野暮ったいスーツ姿に似合わないこと言って笑い、タクシー代だと言って3万渡すと、彼女は頭を下げて帰って行った。

 翌日、早紀から留守番電話が入っていた。
「領収書、どうしましょう?」
 バカ正直に返すつもりらしかった。それなら、と古谷は定例会の日に彼女を誘ってみた。「ホテルのラウンジで飲んでるからよかったら来る?」
金で財布を膨らませたクライアントからの誘い。シティホテルのラウンジ。しかもタクシー代付き。早紀もまた蜜にたかる蟻だろうと古谷は意味もなく苛立った。駅に着いたと連絡が入ってから、ラウンジではなく部屋に来いと言ってやるつもりだった。甘い好奇心がどこまで通用するか試してやりたかった。

 酒と煙草とジョイント。むせかえるような香水の匂いが充満したホテルの部屋には全裸の女たちがたむろしている。ドアの前に立った彼女にそのことを告げ、どうする? と困った顔を作ってみせた。来れるものならどうぞ。
 すると早紀は一瞬眉をひそめたものの、お酒を飲みに来たので少し頂いて行ってもいいですか?と、部屋に入って来た。まさか本当に来るとは思わなかった。今度は古谷が眉をひそめる番だった。
垂れ流しになっていた洋モノのポルノビデオの前で、彼女は平然とシャブリをグラスに注いだ。馴染みの女がジョイントを渡す。火を点けようとした手が一瞬止まった。普通の煙草じゃないことに気づいたのだろうか。尻尾を巻いて逃げ出すなら今のうちだぞ。古谷はじっと彼女を見つめていた。けれども早紀は「酔っ払っちゃう前に渡しておきますね。この間の領収書」と白い封筒を手渡した後「これ、葉巻の葉に巻いてあるんじゃないんですね」と呟いて、堂々とマリファナ煙草を咥えて見せた。サマになっていた。
その夜、早紀は裸で歩き回る女たちに臆することなく酒を飲み、そして自分は服一枚脱ぐことなく、くつろいだ様子でジョイントを楽しんで帰って行った。

『あいつ、とんでもないクロゼットフリークかも知れない』
古谷の胸に疑問が湧いた。地味に見せていて、その実、悪い遊びもこなして来た。早紀の様子はそのことをあからさまに見せつけていた。ならばそれなりの対応の仕方がある。この人たちとは違う。そんな風にいい子ぶって見せたところで、自分からいくら取れるかを冷静に見極めようとしているだけだろうと判断した。そう思った古谷の視線の先に早紀が残して行った封筒があった。中を開けると、前に渡した3万のうちタクシー代を引いた残りの金がきれいに揃えて入っていた。

…してやられた。

お金を受け取らないうちはあなたと対等よ。部屋を出て行く間際に微笑んで見せた早紀の声が聞こえたような気がした。
金で買える女じゃない。けれどその筋のことを知り尽くしている。手ごわい相手だと直感した。そして、めったにいない種類の女だとも。
そう思うと、絡み付いて来る女たちが急にうっとおしくなった。泊まりの予定を全部キャンセルすると告げると、全員が全員、平然と金の話を口に出した。判りやすい。けれど俺は早紀が何を考えてここに来たのかが判らなかった。
 騒然とした部屋に一人残った古谷は、その時ふと昔見た映画のシーンを思い出していた。金持ちのリチャード・ギアが花束ひとつ持って路地裏のはしごを昇って行くシーンだった。
 金をいくら積んでも手に入れられないものもある。そんな単純なことを、ずっと忘れていたような気がする。早紀は「少し話がしたかったから」と言ったはずだ。なのにヴィザのゴールドカードを楯にして、言い訳をしていたのは自分の方だったのだ。そう思うと早紀に対する興味が募った。

 その時古谷は、一風変わった娼婦に惹かれたギアの気持ちが、少し判るような気がした。

2003.4.8. 水無月朋子



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