映画が始まって何分もしないうちに、あおいは内容も確かめず「ビッグフィッシュ」というタイトルだけで劇場に来てしまったことを後悔し始めていた。
てっきり魚か海の映画だと思っていた。それなのに、スクリーンには父親と息子が映し出されていて、何やら神妙な親子の会話を続けている。
ふたりの関係はあまり良くないようで、それが嫌でも自分と、自分の父親を思い出させた。
あおいは三人姉妹のまんなかで、唯一、父親とそりが合わない娘だった。
父親は高校で生物教師をしてはいるものの、三人の娘に生まれ月にちなんだ花の名前を付けたくらい植物が好きだった。ましてや教職につかなかったら植物学者を目指していたというような堅物だ。
姉のさくらはその名の通り、奥ゆかしいしっかり者に育った。今は公務員と結婚して、ささやかだけれど堅実な家庭を作っている。
秋に生まれた妹のかえでは、思慮深く知的で、今でも大学の研究室に残って何だか判らない研究を続けている。
どちらも父親にとっては、ほぼ理想通りに育った娘だと思う。けれど、あおいだけは違っていた。
夏の盛りに生まれ、「向日葵」から名前をもらったせいか、良くいえば明るくおおらかに、悪く言えば大雑把なじゃじゃ馬に育ってしまったのだ。
机に向かっているよりも、外で泥だらけになって遊んでいるほうが好きだった。大学へもろくに行かず、夏はサーフィン、冬はスノーボードに明け暮れた。そのため一年中まっくろに日焼けしていたあおいは、父親から「一家の落ちこぼれ」と言われ続けて来たのだ。机に向かってコツコツと調べ物をするのが何よりも好きな父親と仲良くなれという方が無理だった。映画の中の親子とはまるきり反対の関係だとも言えた。
どうにか大学を出ると、あおいは迷わずフリーターの道を選んだ。
波乗りを続けるうちに、海面の下に潜ることや、そこに住む魚にまで興味が広がっていたのだ。
「海の近くに住んで、いずれは海外の海にも潜ってみたい」
それが就職を拒んだあおいの言い分だった。
そんなあおいに、父親はたった一言、だったら出て行けと言った。
以来、3年以上も父親とは顔を合わせていない。
たまに連絡を取っている母親は、持病の神経痛がひどくなって、ますます気難しくなったとこぼしていた。
「来年は定年だし、のんびりして、好きなことをするようになれば少しは変わると思うけど」
その言葉に、父親ももうそんな歳なのかと思った。
映画の中では、父親を受け入れられなかった息子が、父の死を目前にして心を開きかけていた。
死ぬことが判ってからでは遅すぎるのではないか。
もっと早くに話をするべきではなかったのか。
あおいの胸に、焦りと苛立ちが生まれた。
やがて薄暗い会場のあちこちから、すすり泣きの声が聞こえ始める。
そして、いつの間にか話に引き込まれていたあおいの頬にも、光るものがあった。
エンドクレジットが流れて行くのを見つめながら、あおいは、焦りと苛立ちの向こうに、安心を見つけた自分を感じていた。
まだ間に合う。
まだ遅すぎることはない。
今ならまだ、父親との間には十分な時間が残されている。
そしてあおいは、この映画館を出たら、実家に電話をしてみようと思った。
けれど、タイトルだけで映画を決めてしまうくらい海や魚にのめり込んでいる自分が、どこか父親に似ていることには、まだ気づいてはいなかった。
2004.6.19. 水無月朋子
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