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『バックドラフト』


 歳の離れた弟が、地元の大学に入学した。そのことを父親から聞かされた啓一は、ほっと胸を撫でおろしていた。
「英二のやつ、おまえに話があるって言ってたな。よかったら連絡してやってくれよ」
大学合格のお祝いに、兄貴何か買ってくれよとでも言われるのだろうか。そういえば、自転車しか持っていないから何かと不便だとこぼしていたような気がする。とはいえ、いきなり車を買ってくれということもないだろうから、もしかしたら原付バイクぐらいのことは言われるかもしれない。あるいはパソコンか、ADSLをつなぎたいから自分専用の電話回線を何とかしてくれという話か。
まあいい。一年の浪人生活の末、希望の大学に入ったんだ。啓一は少しくらいの無理は聞いてやろうという気になっていた。

アメフトのさ、防具が欲しいんだよ。
ところが、英二がねだったのは予想もしないものだった。
「おまえ、フットボールなんかやってたか?」
「やってねえよ。俺がやってたのはラグビーだし、それだって兄貴が東京に行ってからだもん」
同じ部の中にはスポーツ推薦で大学へ進学した学生もいたらしい。英二は推薦こそもらい損ねたけれど、この一年、朝晩のランニングだけは続けていたのだと電話の向こうで告げた。
「おまえがアメフトねぇ…」
不思議なめぐり合わせに、啓一は驚きを隠せずにいた。

  啓一がラグビーを始めたのは父親の影響が大きかった。啓一の父親という人は、余計な学問よりも体が資本だという考え方を貫き、塾へ行く時間があるなら外へ出て遊べ、というのが口癖だった。
その言葉どおり、自分も若い頃にはあらゆるスポーツに手を出し、年が行ってからは剣道一本に絞り込んで道場通いをするような人だった。
そんな父親に育てられた啓一は、小学校ではリトルリーグ、中学ではサッカーの部活に明け暮れて、高校からはラグビーを続けた結果、就職活動の時期には実業団から声がかかるまでになっていた。
けれどさんざん悩んだ末、その誘いを断って稼業である建築屋を継ぐべく、大手のゼネコンに就職を決めたのだった。
そんな父と兄を見て育ったせいか、あるいは反発からか、英二は音楽を聴いたり、絵を描いたりしている方が好きな、どちらかというと引きこもりがちな性格だった。
「おまえも一回くらい観に来いよ」
まだ啓一が地元にいた頃に英二を誘ったことがあった。確か、高校の引退試合。英二はまだ中学に入ったばかりだったと思う。
試合はシーソーゲームのように続き、互いに緊迫したまま終盤を迎えていた。
ホイッスルの音とともに走り出す。右側からボールが飛んでくる。前に出る。孤を描いて来たそれは、吸い込まれるように腕の中に落ちる。
左側に人影。自分のチームとは違う色のユニフォームだ。とっさに右足を出して避けた。
前はがら空き!反射的に走り出す。
追いすがる影を振り切るように全力疾走。芝生の上を10メートル…20メートル…30メートル……。
また赤いユニフォームが近づいて来る。左に飛んで避ける。背中で、ガツッっと鈍い音。体をひるがえして避ける。 そしてまた、走り出す。
ゴールポストが近づいて来た。残り時間はほとんどない。右足を思いっきり バックスウィングさせ、渾身のドロップゴール。
ボールは、嫌になるくらい青い空にゆるやかな放物線を描いて飛んで行く。
1秒……2秒……3秒……。
スタンド中のざわめきがピタリと止んでいる。
その場にいた全員が固唾を飲んで見守る中、ボールはゆっくりと孤を描いてゴールポストの間を抜けて行った。
1秒、2秒……。
そして、歓声と拍手が爆発した。

  数え切れないほどの試合をして来た啓一だけれど、あの試合だけは自分がヒーローになれたと感じた。
けれどその試合の後でさえも
、英二は「そんな泥だらけになってケガまでして、何が楽しいんだか判らないね」とそっぽを向いたはずだ。
そんな弟がいつの間にかラグビーを始めていて、今度はアメフトをやりたいと言っている。まるで、『バック・ドラフト』に出てきた兄弟のようだとおかしくなった。
「アメフトの防具か…」
ヘルメットだけで2万円、ショルダーパットが3万円、その他にもフェイスマスクやニーパットなど一式揃えるとなると、10万近い出費になるかも知れない。それでも、いつかあいつがあの時の自分と同じ気分を味わってくれるのならば、多少の無理を聞いてやろうと思った。
「その代わり、弱音なんか吐いたら承知しないぞ」
啓一は、当分自分の小遣いはナシだな…と苦笑いしながらも、電話に向かって頷いていた。

2004.3.19. 水無月朋子


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