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『tokyo.sora』


---智恵子は東京に空が無いと言う。本当の空が見たいと言う。---
 芸術家・高村光太郎の妻、智恵子が見た東京の空。哀しいけど、心を患っていた智恵子に映った東京の空。
高村光太郎の「智恵子抄」から60年。さまざまなクリエイターや芸術家が東京の空を表現してきました。
そして、石川寛という映像作家により「tokyo.sora」という映画が生まれました。

---東京の空の下、一人暮らしをする6人の女の子の淡々とした日常の物語。---
 作家志望で小説を書きながらランパブで働いてる彼女は、重い気持ちを引きずりながらも前向きに生きていた。
美容師の見習いで夜はランパブ嬢をしている彼女は、幸せを感じられずいつも悲しい顔をして生きていた。
美大生である彼女は、自分の体に劣等感を感じていて恋と性のギャップに悩んでいた。
客の来ない退屈な喫茶店でバイトしている彼女は、退屈な日々をマスターと共に暇つぶしをしながら何気なく送っていた。
台湾から留学してきた彼女は、日本語がわからず、日本人を理解できずにいた。
ティッシュ配りのバイトしながらモデルを目指している彼女は、人とのコミュニケーションが苦手なせいで、いつも面接で上手くいかずにいた。
 嬉しい時に空を見上げ、悲しい時に空を見上げ、ビルの隙間から見える東京の空は人それぞれに、ひとりひとりに形を変えて映っている。彼女たちにも、それぞれの形で東京の空は映り、それぞれの心模様を描いている。

僕の東京の空は・・・
東京の空は、いつも心と裏腹。悲しい時ほど晴れ渡り、嬉しい時ほど曇り空。
空を見上げると、決まってユーミンの「悲しいほどお天気」という歌のタイトルが頭に浮かぶ。
(実際の楽曲は"まるで悲しいぐらいに"という意味だと思うが、自分にとっては"悲しい時に限って晴れてやがる"という気分に、このタイトルがマッチする。)
だけど、この頃、"悲しいほどお天気"であることを、前向きに考えることにした。
浮かない気持ちの僕を優しく包み込んでくれる空の青さに感謝。
逆に嬉しい時に曇り空な時は、きっと空が癒しを求めてる時なんだろう。
悲しい気持ちの僕を明るい日ざしで照らした後、空もきっと咽がカラカラに乾いてるんだろう。
やがて空は大粒の涙をこぼし、そして泣き止んでまた明るい笑顔を見せてくれる。
そんな風に前向きに考えることにした。

 東京の空を見上げながらひたむきに生きる6人の女の子達も、それぞれに淡々とした日常の中で心や生活や生き方に変化が生まれる。
それは、とても寒い冬の朝。見習い美容師の彼女が、自ら空へと旅立って行ってしまった。東京の空は彼女に対 して結局は微笑んでくれなかった。
そして、作家志望の彼女は、悲しみや苦しみ、挫折を纏った包帯を空へと放り投げた。
美大生の彼女は、偽りの自分を空へと放り投げ、ありのままの自分で生きることを決意した。
喫茶店でバイトしている彼女は、東京の空の下で生きる人々の痛みを知った。
留学生の彼女とモデルを目指す彼女は、少しずつ東京に生きる人々の温もりを感じ はじめた。
 人によって大きな転機であったり、あるいはささやかながら少しずつ微妙に変化が生まれたり、あるいはそこで終えてしまったり、あるいは何かを悟っても明日もまたいつもの日常が繰り返されたり。それぞれの心の中で天気図が描かれていた。

「tokyo.sora」に出てくる6人の主人公の女の子達は、東京の空の下で生きる人たちのリアルな姿だった。
それは、この映画が石川監督がCM作品などでお得意の手法、「ごく普通の日常の会 話」をベースにしていて、役者がほとんど演技ではなく普通に喋っているからこそ、リアルに伝わってくる。

---この映画は「半分の映画」です。---
 石川監督はそう言っています。作家志望が彼女のセリフの中で「半分でいいと思うんですよ。満たされたらつまんないじゃないですか。」と言っています。
東京の空は、僕達の心を満たしてはくれない。がむしゃらにやっても精一杯力込めてやっても、100%に及ぶことなんて、そうそうあり得ない。
だからこそ、僕らは東京の空の下、これからも嬉しい時に空を見上げ、悲しい時に空を見上げ、真の意味で心満たされる時が来るまで、しぶとく生きていくんでしょうね、きっと。


2004.12.7.
山根昌弘



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