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『チャイニーズ・ディナー』

明日の飲み会の後さ、一緒に泊まらない?
 電話の向うで美春がそう言い出した時、直子はついに来たかと覚悟を決めた。今までの、回りくどいような打診ではなく、直球で来た、と。
 男性嫌いを隠そうともせず、冗談めかして直子が好きだと言っていた美春が、直子の彼氏に興味を持ち始めたのはもうずいぶん前のことだ。
「ナオの彼ってどんな人?」
 友達なら当たり前に交わされる会話。その裏に隠されていた意味に気づかず、え?普通の人だよ、と直子はその相手の話をした。ナオはストレートだもんね、と何気なく確認されて、今さら何を、と思う。
 単純な足し算が絡み合って答えを判りづらくさせ、直子を撹乱する。そんな美春の問いかけは薄いピンクを重ねて濃い赤を作るように次第に濃度を増して行く。
「ナオは男にしか興味ないんでしょう?」
「は?あんた何言ってんの?」
「でも付き合うなら男の人でしょう?」
 さりげなさを装った美春の言葉は諸刃の剣だ。けれど美春は上手にそれを隠し、逃げ道を残したままで直子に切りかかってくる。頬をかすめては過ぎる真意の刃。その意味を悟ったのはいつだったのだろう。何気なく交わされた言葉のやり取りの中で、美春が洩らした一言だったか、あるいは沈黙の長さだったのか。
 空白だらけのジグソーパズルに、マスターピースがはめ込まれただけで全体の絵が見えてしまうように、切れ切れに投げかけられていた言葉が、ある日突然意味のあるものとして繋がった。
 友達の美春。その裏側にある本当の答え。その意味に気づいたあの日。
 けれど直子は、それからも美春の気持ちに気づかないふりをした。とはいえ、心のどこかで、いつかマスターピースを手渡されることも覚悟していたような気がする。
 そして、いつまで経ってもすれすれのところで自分の言葉をかわし続ける直子に、美春が放ったのが、一緒に泊まろうと一言だった。
別に、いいけど。でもどうして? だって二次会まで出たら遅くなるじゃない。ナオのことだから、また乗り過ごすかもしれないし。だから。
反論する余地のない言い分。帰ると言い張る理由もない。けれどそれは、確かに美春が手渡してきたマスターピースだった。

 三次会へ流れる一群と別れて、予約した部屋へ向かう。どうでもいいことを話し続ける直子の中に、しんと静まり返った部分がいつまでも残っていて、酔いに逃げ込むことさえ許してくれない。フロントでキーを受けとってエレベーターに乗る。扉が閉まった瞬間、直子は窒息しそうな魚のように、大きくため息をついた。
美春が選んだツインの部屋は、そんな直子の気持ちも知らずに二人を迎え入れる。背中でドアが閉まった時から長い夜が始まった。
昔見た映画に『チャイニーズ・ディナー』というのがあった。高級中華料理店の個室で、密室の死闘を描いたものだった。主人公は、拳銃をつき付けられたままフルコースを食べろと強要される。逃げることも許されず、息苦しい感情のやり取りが続く。
その時の直子は、まさにそんな気分だった。
仕事のこと。久しぶりに会った知り合いのこと。誰が結婚したとかしないとか。
何気ない会話の中に小さな針を仕込んで投げて寄越す美春。その視線は不安定に揺れ続けている。それを十分承知の上で、さりげなくかわす直子。危うい緊張をはらんだままで続けられる感情の探り合い。互いに相手の胸の内を判り切っていながら、あえてその話題には触れず、直子は3本目のビールを開けた。
もう!直子飲み過ぎ!体壊しても知らないからね。いいじゃん、今日は帰らなくてもいいんだから。そのためにここ取ったんでしょ?うん、そう。たまにはいいよねこういうのも。沈黙を恐れるあまり、直子は話し続け、時間だけが無為に過ぎて行く。

 美春が望んでいたのはこんな状況ではなかったはずだと判っていながら、どうすることもできない。美春にしても、こんな話をするためにわざわざ部屋を取ったわけではないはずなのに核心は突いて来ない。自分が言葉を吐き出した分だけ部屋の空気が薄くなり、美春が答えた分だけ、それが体にからみついて、毛穴を塞がれて行くような気が、直子にはしていた。
延々と続くかと思われたメビウスの輪。けれどそれは時間という力で救われた。
朝、五時。カーテンの隙間から薄い光が差し込み、夜の気配は遠のいていた。
どちからかともなく、もう寝よっかと言い出して、それぞれベッドに潜り込んだ。
 背中で聞く美春の呼吸。寝返りを打つ音にさえも神経が逆立った。結局は何も言い出さず、何も訊かず。何も気づかないふりをしたままでいたことに、直子は申し訳ないような、けれどどこかほっとしたような思いだった。

 映画の結末はたしか惨劇だった。けれど危うい均衡は保たれた。これでよかったのだと思う。もし何か言葉にしてしまっていたら、蜜月の後の別離はあっけないほど早くやって来て、互いにとても大切なものを失うことになっていたかもしれない。
そう思うと、美春との結末をすれ違わせたままで朝を迎えられたことに安堵して、直子は浅い眠りの中に引き込まれて行った。

2003.4.10. 水無月朋子



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