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『桜の園』

 記憶の断片を含んだこの季節の粒子は、知らず知らずのうちに入り込んで来て、杉花粉のようにまひろを憂鬱にさせる。暖められた空気はまひろの中で醗酵し、胸の奥に眠る記憶を呼び起こしてしまうから、それらはまるで、かえるやとかげが冬眠から醒めるように、まひろをわずらわせる。
ひらひらと舞い落ちる桜は、まるで薄紅の雪か霧のように視界を曇らせる。だからまひろはこの季節になるといつも夢とうつつをくり返す。そして今ならば、眼を開いたまま「彼」の夢を見ることさえできる。

 その人は、片桐といった。まひろがソムリエとして勤めていたレストランに、ベテランのギャルソンとしてやって来た相手だった。
出会ったのは春だ。そのことはまひろが一番よく覚えている。
レストランの周りには数え切れないほどの桜の樹が植えられていて、その日はこぼれるように花が散り始めていた。
「すごいですね、桜。なんだか怖いくらい」
 誘われるように中庭に出た昼休み、まひろは、隣にふと人の気配を感じて何気なく声をかけた。
「桜の花があんな色なのは、樹の下に死体が埋まっているからだと言います。…安吾、だったかな」
片桐はそんなふうに言ったと思う。まひろはその時、安吾の名を知らなかったけれど、代わりに、まだ学生だった頃に観た映画を思い出していた。
『櫻の園』。
それは、桜の樹に囲まれた女子校の生徒たちの、もどかしく熱っぽい、不安定で輪郭を持たない世代の感情を描いたものだった。少しばかり歪んだようなその世界を考えると、もしかしたら桜には何かを狂わす効力があるのかも知れないと、ふと思った。

 片桐とはその後間もなくして、ソムリエとギャルソン以外の関係を持った。片桐はまひろ以外の人にも属していたけれど、そんな社会のしきたりはまひろを悩ませたりはしない。ただ、片桐の深い瞳の色が、まひろを捕らえて離さなかっただけで。
片桐はまひろと初めて裸で眠った後、店の中で眼鏡を外していることが多くなった。なぜなら、自分の視線は、少しでも油断をすると勝手にあたりをさまよい始め、まひろの後を追いかけてしまうからだと、片桐はため息まじりにつぶやいた。そんな歳の離れた相手を愛しく思い、まひろは彼との関係にうつつを抜かした。
その言葉の通り、片桐は瞳を使うのが上手だった。それらはとても饒舌で、告白することなく多くを語る。
物を見るという本来の役割意外の瞳の効用を知り、それらが作り出す意味を受け止める方法を覚えてからは、まひろは、店の中で片桐と話をすることすら必要なくなったものだ。
実態のないものは誰も傷つけない。人は、かたちのない物は見ようとはせず、言葉にしない声を聞こうとはしないから。体を使わない快楽は淫靡で背徳的で、そしてより罪深い。
そのことを知りながらも、片桐が作り出す空気は、ある時には居心地よくまひろを休ませ、またある時は歳相応の思慮深さで自分の味方になってくれた。

そんな片桐との関係は春の日差しのように暖かく、眠気を誘うほど穏やかに時間は流れて行った。
いくつかの季節をくり返す間、桜は変わらずに毎年花開き、そして散って行く。
そうするうちに何年かが過ぎた。
まひろのとの関係を片桐は安息と感じていたのだろう。けれど、頬に当たる風がどこか丸く感じられた、まだ春浅い日の午後、まひろは何も変わらないことに訳もなく苛立っている自分に気づいた。
それは、純粋とも呼べる凶暴さで、好きなものを好きだと言えないもどかしさに裏打ちされていた。

どうして自分は片桐と別の人間なのだろう。
こんなにも自分は彼で、彼は自分であるというのに。
うねるような激情ではない。薄紅の桜の花びらを重ねて濃い赤を作るように。散った花びらが降り積もるように。まひろの中に、少しづつ狂気が溜まり、積もって行った。
狂い始めているのが自分でも判った。
そして、ある春の夜、臨界点を超えたまひろの理性は音もなく散り落ちた。

言葉に出さず、形を作らなかったまひろと片桐の関係を知る人間はいなかった。
ある日突然、片桐が姿を消しても、誰一人としてまひろを疑う者がなかったほどに。

呼び覚まされた記憶に、もう一度鍵をかけながらまひろは思う。
彼はまた今年も、桜の花を紅に染めているのだろうか。

2004.1.14. 水無月朋子



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