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『ジャングル・フィーバー』


 その映画のことはとてもよく憶えている。そう、とてもよく。そして、今でもふと考えるたびに、少しばかり切なくて胸の隅が痛くなる。
映画が公開された当時「見に行かない方がいいよ」とエリに言われた。麻美は、その場で聞き返していた。なんで?
彼女は麻美とおなじ東洋人だったけれど、結婚している相手がアメリカの黒人だった。そして麻美のボーイフレンドもそうだった。
その時、エリは言ったのだ。
「落ち込むから」
けれど麻美はグレッグと一緒にその映画を観に行った。そしてたいして落ち込むこともなく、笑って帰ってきたのだ。
そしてその映画を観たことすら忘れかけていた頃、グレッグのファミリーを訪ねる夏がやって来た。

  ニューオリンズの夏は車のボンネットで卵が焼けそうな暑さだった。
久しぶりにホームタウンに帰る飛行場から車を走らせていたグレッグが小さく舌打ちをする。何?と訊ねると、ほらあれ、と指さした先には独立前の星条旗がこれ見よがしにかけられていた。
「今どきあんなもんかけてたら、家に火を点けられるぜ」
それは、深南部と呼ばれるこの土地で、アメリカの独立をまだ快く思っていない白人がかけた物だと言う。
その言葉どおり、グレッグの家はアメリカの中でもブラックとホワイトの隔たりが色濃く残る片田舎にあった。

  訪れたグレッグの実家で、親戚のチャーリーとキャシーはもの珍しさも手伝ってか、「初めてのオリエンタル」だと麻美のことを歓迎してくれた。けれども、リンダという叔母さんは口をきいてもくれなかった。そのくらいのことは覚悟していたから、麻美はあえて気にないようにして受け流した。
そんな滞在の間、街に3つしかないチャイニーズレストランで、味も見た目も全然違う「中華料理」をテイクアウトして家に戻る途中、突然泥だらけの赤いトラックが幅寄せして来たことがあった。レッドネックと呼ばれる田舎者の白人だった。
何で?どうして?と慌てる麻美をちらりと見ながら、グレッグが答える。
「ブラックの俺がこんな車に乗ってるのが気に入らないんだろ」
グレッグが運転していたのは日本製のマツダだった。
そしてグレッグは黙ってアクセルを踏み込んだ。あっという間に加速して、トラックはバックミラーの中でどんどん小さくなって行く。その様子を見ながら、麻美は「そんなもんなのかな」とぼんやり思っていた。
そんなふうに、麻美はこの国ではゲストでしかなかった。自分の国ではない、ただ立ち寄っただけという意識が、麻美から差別という言葉を遠ざけていたのだ。

  けれどもその数日後、グレッグと買い物に出たダウンタウンのグローサリーストアに入った瞬間、麻美は自分が間違った場所に来てしまったことを知った。
店に足を踏み入れた次の瞬間に、中にいた黒人女性たちがいっせいに麻美を見たのだ。針のように向けられた視線。それは部外者に対する明らかな憎しみを浮かべていた。
意識としてはあった。差別というものが実際にあることも知っている。けれどもそれは、言葉で聞き、頭で理解しているだけのものだった。
日本という国で育ち、「差別される側」に立たされたことのなかった麻美は「おまえは車に戻ってろ」と耳打ちしたグレッグの言葉に従って、黙って店を出るしかなかったのだ。
車に戻って待っていると、グレッグは
麻美を睨みつけていた黒人女性と笑いながら店を出て来た。ここがディープサウスで、彼はそんな土地で育った黒人であり、自分とはまったく違う環境で生きて来た人間だということを思い知らされた瞬間だった。

帰りの車の中で黙り込んでいた麻美に、グレッグが「どうかしたのか」と訊ねた。
麻美は「やっぱりグレッグはブラザーなんだよね」と答えることしかできなかった。今まで自分は彼の何を見ていたんだろう。ただ肌の色が違うだけだと考えようとしていた自分が恥ずかしかった。
彼は何度もそんなことを経験して来たんだろう。ここでも、そして日本でも。
けれど、そんなことを感じさせずに麻美と向き合って来た彼の黒い肌の下には、いろんなものが隠されているんだと思った。

家に戻ると、キャシーが「楽しかった?」と声をかけてきた。ディナーできてるよ。麻美も食べるでしょう?
麻美はその夜、キャシーが作ってくれた何でもない豆料理を「おいしいね、おいしいね」といって口に運び続けた。
なにげない料理一皿にも、さりげなくかけてくれる一言にも、とてもたくさんの意味がある。
肌の色の違う自分を、そうと感じさせずに受け入れてくれたチャーリーとキャシーの気持ちが嬉しくて、麻美はその時、目に見えない何かを感じた気がした。

2004.2.6. 水無月朋子



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