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『サイボーグ』

 自分の呼び方を数回変えている。今でこそ「俺」や「僕」、「私」などを使っているが、高校時代までは「わし」で、その前まではずっと「わえ」だった。

 「わえ」が生まれ育ったのは、瀬戸内沿いの小さな田舎町だ。自分の家と、学校までの道のりと、犬の散歩コース。その頃の「わえ」にとっては、それが世界のすべてだった。
小学校と中学校ぶっ続けで9年間、この時期をほとんど同じメンバーで過ごすのはいいことなのか悪いことなのか「俺」には分からない。小学校の時に何か一つでも”間違って”しまうと、それは延々と続いてしまうのだ。
小学校の頃から、人が集まれば「わえ」はいつも誰よりも大声を出した。いつも人を集めて何か面白そうなことを提案し、それぞれの役割をふって遊びに行っていた。

 「わえ」の人生で一番最初の壁だったかもしれない変化は、小学校4年生の時に起きた。
それまで「わえ」と一緒に山や川を走り回っていた友だちは、ほぼ全員、本当にほぼ全員、家庭用テレビゲーム機に夢中になってしまったのだ。
数回、「わえ」も友だちの家でやらせてもらったことがある。しかしどうしてもその、ぴょんぴょん跳ねるヒゲをはやした男のゲームが面白いとは「わえ」には思えなかった。

 中学校に入ってすぐ、「わえ」が昼休みに本を読んでいると一人の大柄なやつが近付いてきて本を取り上げた。こんなん読んで面白いんか、とそいつは言った。返せよ、と「わえ」は言ったがそいつはにやにや笑うだけだった。「わえ」はそいつを突き飛ばし、本を取りかえした。そいつはびっくりしたように「わえ」を見た。
あいつ、恐いんでえ、とそっとそばの同級生が「わえ」に耳打ちした。

 「わえ」の通う中学校には、いくつかの小学校からそれぞれのガキ大将達が集まってきて、いつも争いを繰り返していた。しかし面白いのは、同じ小学校出身者同士では決して喧嘩は起こらないことだった。
 教師が休みの“自習”は、「わえ」にとって憂鬱な時間だった。騒がしい中で一人、机に向かっていると、突然鈍く固いものが右のこめかみにぶつかってきた。「わえ」は机に突っ伏して、嵐が過ぎるのを待った。殴られている最中は痛みなど感じない。体の芯の方からわき上がるマグマのようなものを、なんとか押さえるので精一杯なのだ。やり返すのはまずかった。小学校の時「わえ」はたまに取っ組み合いのけんかをした。しかし中学校のけんかは違った。どうせ一対一じゃない。やられ損だ。
殴って来たのは、「わえ」がいつか突き飛ばしたやつだった。あれ以来、そいつは何かと「わえ」に言いがかりを付けてきた。くそう。お前だけなら、ここで立ち上がるのに…。

 休憩中、廊下を歩いていると人だかりがあった。不良たちの足元に、ちらりと誰かの足がごろんと転がっているのが、見えた。「わえ」は見て見ぬ振りをした。
学校の帰りも注意が必要だった。前方に会いたくない集まりを見かけると、すっと「わえ」は道を変えた。自転車もいつ後ろから突っ込んで来るか分からない。
「わえ」は美術が得意だった。出席番号が早いのもあって、いつもいつも、美術の時間で教師が「わえ」の作品をみなに見せた。そっとしといてくれよなあ、と「わえ」は思った。
少しでも目立つ人間は、すぐに標的にされた。

 「わえ」はある日、やってしまった。クラスでいばっているチンピラのようなやつの顔を叩いたのだ。しつこく体をぶつけてきたそいつに軽く抵抗したつもりが、思いがけず力が入ってしまったのだった。自分の体の中にあるギラギラしたものに、「わえ」は時々困惑した。
1、2発殴り返したが、あとはただ嵐のように殴られていた。その後が面倒なのだった。殴られている最中は何も感じない。痛みは、後からくる。
耐えればいいんだ、今だけ耐えれば…

 理科の実験中だった。小学校から同じだったヒルのような男が、「わえ」の横にいた水牛のようなやつに耳打ちした。水牛はすぐに大声を出した。「こいつ山内のことが好きなんでえ!」耳がキュウッと熱くなったが、「わえ」は黙っていた。アマチュアボクサーだという教師が、静かにしろ、と怒鳴っていた。怒鳴るより殴っちゃえよ、と「わえ」は思った。こいつら全部、殴っちゃえよ。

 実家から遠く離れた高校に入学が決まり、「わえ」は寮に入った。「わえ」が入寮してすぐに、その呼び方を同級生に笑われた。「わえ」はなぜかそれがうれしかった。そうだよな、変だよな。
その瞬間、「わえ」は消えた。

『サイボーグ』という映画がある。もと空手世界チャンピオンだという男が主人公を演じていて、次々に襲ってくる敵を倒していく、という近未来SFだ。逃げても逃げても敵はどこからともなく現れ、追ってくる。眠れない時に、深夜映画で「俺」はそれを見た。

ちっとも血湧き肉踊る映画ではない。
主人公も、ほんとは闘いたくないのだろうなあと思った。
人を殴ることは悲しいことだ。
主人公がそう、「俺」に訴えている気がした。

2003.4.17. 工房の主人



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