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『クロコダイルの涙』


“本当の「愛」って何だろうか?”
いつもわたしに付きまとっていた疑問。
結婚した友達にいつも聞いていた。「どうして結婚を決断することができたの?」と。
「愛してる」と、いつどの瞬間、どんな気持ちになった時に言えるのか、わたしには全くわからなかった。

片思いしていた初恋の相手は、あっけなく死んでしまった。
大学の時に片思いをした人には、心に秘めた女性がいると言う。
いつも、「好きです」と言うタイミングを掴めずにいた‥‥

ある日、書店にてなぜか恋愛の詩集を立ち読みしていた。詩集など普段は開くことなど無いのに。そこには、
“わたしのあなたはどこにいるの。  
 世界の向こう側か、この垣根のすぐ隣か。”
といったような感じの詩が載っていた。
それはわたしの脳天を突いた。
「わたしの相手は、一体どこにいるんだろうか‥‥」
止まる木すら無い無限の闇の中を飛んでいる鳥のような、そんな時間の中で深いため息ばかりついていた。

牧原が、蝶に恋をした蜘蛛の歌を歌っていた。蝶に恋をした蜘蛛は、自分の罠にかかった彼女を逃がしてやる。そうでなければ、蜘蛛にできることと言えばただ一つ。無心になってその獲物を喰らうこと。
わたしは自分が蝶ではなく、蜘蛛であるような気分になってそれを聞いていた。
異端の者は、相手をむさぼるより他に道は無いのか。
わたしの心はすっかり枯れたようになっていて、悲しみからの涙は出なくなっていた。しかしなぜか、不安がとめどなくわたしの目を濡らす。

「クロコダイルの涙」の中のジュード・ロウは美しい魅力を放っている。こんな人に喰われて死ねるなら本望だ、と思う女性もいるかもしれない。でも、彼が演じていた“異端の男”は、誰でもいいというわけではなく、ただ一つの“本当の愛”を求めていた。探しつつ、求めつつ、しかしいつも失望していた。
わたしも彼と同じように、本当の愛を捜し求めてさ迷い歩いた。そして失望を繰り返した。
そんなわたしに、誰も声をかけてこなかった。

夫と知り合い、ふいに晴れ間が訪れたような気持ちになった。人生の歯車が、ぎしぎしときしんだ音を立てて、久々に動き始めたような感じ。長年忘れていた「感情」とは何かを、取り戻したような感じ。
「パリへ行ってきたよ。で、彼氏ができた。」
 と親友であったMちゃんに報告をした。
彼女の声はいつになく雲っていて、そして数日後、電話で思いがけない告白をされた。
「あのね‥‥わたしね、ずっと、ジョリちゃんのことが好きだったの。」
 彼女は、わたしと離れたくない、フランスへは行かないで、と電話の向こうで泣いて頼んできた。わたしが行ってしまうと、死ぬかもしれない、と。彼女は、わたしの次回のフランス行きが「日本から永久に離れること」を意味していると、本能的に覚っていた。

とにかくMちゃんと会うことにした。2人でじっくり話し合うために、ホテルを取って小旅行を計画して。旅行に出る前から、彼女はわたしにこう言い続けていた。
「ジョリちゃんの血をなめてみたい。」
 彼女は決してホモセクシュアルというわけではなかった。女同士での肉体的な喜びを味わう術すら知らない彼女は、ヘテロのわたしの心にどうやって近づけば良いのかもわからず、結局、わたしの血を舐めることでその未熟な精神的・肉体的欲求を満たそうとしていたのである。
ジョリちゃんの血とわたしの血が、わたしの体の中で混ざれば‥‥。
いざホテルに着いて、落ち着いた頃にわたしのほうから話を切り出した。
「血、舐めたいんだったら、いいよ。」
 なんだか、SEXしたいんならしてあげるよ、とでも言っているかのようで、自分で言いながらもとても恥ずかしい気持ちになってきた。しかしわたしも決意してここに来たのだから、と思って、カッターナイフを取り出す。それで指の腹を少し切りつけ、血を1滴ほどにじませようと考えていた。
たまに、わたしはナイフを自分の太腿に突き刺す妄想に駆られることがある。それを思うと、カッターナイフでわずかに自分の指先を傷めることくらい簡単なはず。
しかし、彼女はわたしを前にしていきなり躊躇い始めた様子。
「ジョリちゃんの血は舐めたいけど‥‥ジョリちゃんを傷つけることはしたくないし‥‥」
 ホテルのミニ・バーにはお酒がある。わたしはお酒を指差して、「これに血を混ぜて、義兄弟の契りの杯とでもいく?」と言った。
彼女はやはり躊躇い、そして、真っ赤な顔をしてこう言った。
「うぅん、もう、いいよ‥‥」
 そして、2人でぎゅっとくっついて写真を撮ることを申し出てきた。

彼女とはそれから数ヶ月間の間、説得の日々だった。
「わたしは、わたしの人生を進むんだから。わたしが決めたことなんだから、フランスへ行くよ。彼と一緒に人生の時間を過ごすためにね。」
 死ぬかも、と言う彼女に対して、わたしはそう言い放った。そう言い放ちつつも、本当に死んでしまうかもしれないと思い、とても心配していた。
異端者はいつも満たされることはなく、暗闇をさまよい続ける。

わたしが結婚した時、親友の一人がわたしに聞いてきた。
「いつ、どういう瞬間に結婚を決断することができたの?」
 みんな聞く質問なんだなぁと思った。そして今回は、わたしが聞かれる立場に。年下の彼を持つ彼女は、結婚を決断する時期を迷っているようだった。
わたしはただ「なんとなく、ね。その時になるとね、わかるよ。」とだけ答えた。
そう答えつつも、実際に結婚した後であるにも関わらず、わたしはまだ「愛」とは何なのかがわかってはいなかった。「彼氏」ではなく「夫」になった相手に対して、一度も自発的に「愛してる」とは言えない自分を、異端の身である自分を恨めしく思った。
一体いつになったら、「愛」が何なのかわかるのか?

ある聡明な友達が、わたしに言ったことがある。
「ジョリちゃんはね、きっと、それが一生の課題なのよ。」と。
わたしは「愛」が何であるかを探して、きっと一生をかけてさまよい続けるのだろう。
答えが見つかるのかどうかもわからない暗闇の中を。
ただ、今はもう、一人ではない。わたしの隣には、少し距離をおいて歩いている人がいる。
わたしが疲れた翼を休めるための木がそこにある。
今、わたしはその木の枝に体をすり寄せ、安心して眠ることができる。
そこがわたしの帰る場所であることを、今のわたしは知っているから。

2004.7.31. ジョリ



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