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『恋人までの距離(ディスタンス)』

 いつしか、僕には映画を撮るのがライフワークのようになっていて、読む本の中にシナリオの書き方、なんていうのも登場し出した。
僕が手に取った「あなたにも書けるシナリオ講座」という本は、いろんな映画の台詞を研究していた。その本を通して読んだなかで、一番頭に残った映画が、『恋人までの距離(ディスタンス)』だったのだ。まだ見ていなかった。すぐに、レンタル屋に走った。
僕がその映画に特別興味を持ったのは、自分の過去を思い出させたから、である。

 映画は、ヨーロッパを走る列車の中で、アメリカ人の青年とフランス人の女性が出会うところから始まる。二人とも帰国の途にあり、次の駅でそれぞれの国に向けてお別れ、だった。
突然、青年が、次の街で二人で降りて朝までだけ一緒にいないか、と提案する。ただ、一緒に話したいだけだ、と。そして朝になったら、すっぱり別れよう。

 彼女に会ったのは、タスマニアの監獄島、ポートアーサーへのバスの待合室だった。彼女は身体に不釣り合いな、大きすぎるバックパックを僕の真向かいの席に降ろした。
僕はイーサン・ホークのようにかっこよくないが、彼女はジュリエット・ビノシュより美人だった。
そして、バスも行き先も、その夜予約しているユースホステルまで一緒だと知る。

 次の日、僕はイスラエル出身の彼女と、山に出かけた。頂上から町が見下ろせるはずだった。途中、大きな犬が近付いてきて、怖がる彼女をかばったり、通りかかった農夫の、トラックに乗せてやるという誘いを大慌てで断ったりしながら、見晴し台までやってきた。
 誰もいない。冷たい風が心地よかった。
 空は曇っていた。ここに昔は監獄があった。しかし僕には天国だな。彼女をチラと見ながら、そう考えた。 ひとしきり騒いだ後、それぞれカメラを取り出した。お互いを撮りあった後、一緒に撮らない?と僕は言った。そう言えばタイマーのセットの仕方知らないや。ああでも、ちょうどいい。
カメラをこっちに向けて手で撮ろう、と僕は言った。ほんとにタイマーのセットの仕方を知らなくてよかった、と思った。知ってるのに嘘をつける人間ではない。
二人でぴったりくっついて、左手でカメラを持った。
写れ。
頭の中が熱くなるくらい、念じた。
彼女の腰は、汗でほんのり湿っていた。

 そばに子供用の小さな公園を見つけた。僕らはそこにあった小さな木の家に四つん這いになって入った。そこには、散らかったおもちゃと一緒に、小さな小さな黒板があった。
小さな小さなチョークで、それぞれの名前を書く。
ああ、面白い名前だな、と思った。「イスラエルでは普通の名前なの?」僕らは四つん這いのまま、しばらく名前の話をした。同じ空気をすっているのが、うれしくて仕方なかった。
明日タスマニアを出て、数日後に日本に帰る、と僕は言った。あさってイスラエルに帰る、と彼女も言った。 どちらからともなく、出よう、と言った。
這い出る時、後ろの彼女が二人の名前をスッと、消した。
気付かないフリをして、出た。

 会話は尽きなかった。日本とイスラエルの歴史や宗教、音楽のこと、映画のこと、そして将来の夢。
「ピース」という言葉に彼女がやけに反応したのが印象的だった。僕が「日本はピースな国だよ。」と言うと、彼女はムキになって「イスラエルだって」と言い返した。「イギリスだって爆弾テロがあるでしょ。でも誰も危険な国だって言われない。」僕はうなづいた。「あれと同じよ。」彼女は念を押した。

 その夜僕は、男ばかりの雑魚寝部屋で、寝付くことができなかった。
彼女とは明日でお別れだ。
気持ちだけでも伝えよう、と決心した時には、すでに外は白んでいた。
 朝部屋を出た時、彼女とばったり会った。朝日に浮かぶ彼女の顔はひどく美しく、せっかくの決心も揺らいでしまいそうだった。


 3日間いたのに、ポートアーサーの町並みはほとんど覚えていない。

2003.4.8. 工房の主人



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