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『クリフハンガー』 |
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俺は教室のドアをがらりと開けた。 おし。 いつものように一番乗り。気分がいい。 三階にある教室に、真夏の朝日がつきささっている。そしてひとつのイスが、朝日を浴びて輝いているのだ。 暮らしている寮が学校の敷地内にあるため、学校まではものの数十秒で着く。 高校三年になってから、 寮の朝の点呼に出なくなった。百人がずらり三列に並んで順番に番号を唱えるなんてやってられっか。 だから、寮監に言って欠席させてもらう。寮監は、いい心がけだ、という顔をしてうなづいて送りだしてくれる。 しかし誰もいない教室に着いた俺は、残念ながら勉強したいのではないのだ。 俺はいつものように机からガムの銀色の包み紙の束を取り出した。 前から二列目、まん中から三列目。そこが俺の席だ。 男ばかりの進学校。誰と誰が横に座ろうが、先生にとってもどうでもよかったのかもしれない。 三年生の最初のホームルームで、みなが自分の席を持って、思い思いに別れるよう言われた。 選ぶ席の場所に、その人間の性格が出る。 一番後ろに座る連中。これは、ワル達だ。髪型に命をかけていて、どこか冷めている。大体彼女がいるような、まったくもってけしからんやつらだ。 次に、真ん中辺りに座る連中。これは、おとなしいやつらだ。成績は可もなく不可もなく。存在感も可もなく不可もない。 そして最後に、前の方を占拠する連中。これはさらに細かく別れる。 一番前の列。ここには、のんびりしてて他が埋まってしまい、仕方なく座らざるを得なかった連中がいる。 二番目三番目の列。ここは一番やかましく、自己主張の強い連中のたまり場となる。一番前に座ると先生から近すぎて悪さがしにくい。一列目のやつらを隠れみのにするのだ。 ガムの銀色の包み紙が、裏紙を剥げばいろんなものにひっつけられる、という情報をくれたのは、すぐ後ろの席の高木だった。 俺らは早速、クラス中の人間にガムを食べるようにすすめ、そのすべての銀紙を収集しはじめた。 授業と授業の合間に、ある友人のイスにぺたぺたと銀紙を貼っていく。イスを真っ銀銀にするのだ。 授業中はそいつが座っているから先生は気付かない。朝早く登校する人間だけが、そのイスの神々しい姿を拝むことができたのだ。ちょっとづつちょっとづつ銀色に変わっていくイスを見るのが、俺らの楽しみだった。 教室の前の方を占拠する連中には、一つの共通点があった。 皆、朝早いのだ。 まだ授業が始まる数十分も前、教室には「まじめな」生徒達が揃う。みんな、間違っても受験生。そろってその日の「勉強会」が行われるのだった。 担任の花月先生は教室に入るなり、黒板に大きく書かれた自分の似顔絵を発見する。 「誰だ、これ描いたのは?」苦笑いしながら、花月先生ははっきりと俺を見ている。「誰だ、あれ描いたのは?」横に座っている西川も、口まねをして俺を見た。笑い声の中俺は黙って黒板を消し、先生は、「もったいなー」という発言を無視してホームルームを始める。 ホームルーム中、ひと騒動があった。俺の学校では夏服を着ている時も、胸に校章とクラス章のバッヂをつけなくてはならない。しかし汗をかいて毎日着替えるため、バッヂをつけてくるのを忘れる者は多かった。忘れると、購買部にひとセット数百円のそれを買いに行かされる。二日続けて忘れたやつが、買いに行くのを拒んだのだ。先生は怒鳴り、そいつはふてくされて横を向いた。 俺にはひとつの秘密があった。少し迷った末、横の西川に小声で話しかけた。 「絶対言わんか?」「何じゃ」「絶対言わんか?」「分かった。絶対言わん」 先生はそいつの机を蹴飛ばし、そいつもその気迫におされて仕方なく教室を出て行った。 「実は俺もな、バッヂだいぶ前に無くしたんじゃ」西川は俺の胸のバッヂを見た。「ちゃんとあるじゃねえか」 俺はさらに声をひそめて言った。「これな、紙でできとんじゃ。」 それは、前の晩に厚紙で作ったものだった。本物と同じ大きさに切り、そこにペンで校章とクラス章を描いた。一度足で踏んで汚れもつけ、端を折って糸のほつれも再現した。 俺は自分の偽ものバッヂをはずして西川に渡した。その出来栄えに、西川は0.2秒で叫んだ。 「せんせえ!こいつ、偽造してます!!」 花月先生は、今度は何や、という顔をして近付いてきた。そして、俺の作った偽ものバッヂはクラス中をまわり、その支持を得るのだ。結局、ほんものと変わらない、という訳の分からない理由で先生からお許しをもらい、その後卒業まで使い続けることになる。 ただ一言、「こんなもん作っとらんで勉強せえや」と言われた。 俺はそうやって学校では勉強なんかしなかったが、しかし寮ではちゃんと受験に備えて机に向かっていた。 きっと悪童達もみなそうだっただろう。毎月のように行われる実力テスト。親も招いての進路指導。それぞれの教科の補習授業。減らされる体育と、なくなる美術の授業。 もんもんとはしていたものの、俺らは顔をあわせると、いつも底抜けに明るかった。 俺らの合作である銀のイスは12月の始めに完成し、そして同時に担任に見つかってしまった。 仕方なくイスの衣をはぎ取りながら、映画見に行こうぜ、と誰かが言った。スカッとする映画見ようぜ。 「センター試験、一週間前じゃのう」 「ほうじゃのう」 「今からあがいても結果は変わらんのう」 「そうじゃそうじゃ」 満場一致だった。 俺らは、『クリフハンガー』を横一列にならんで見た。 主人公が崖からぶら下がってる時、俺はあんぐり口を開けたまま、そっとやつらを見た。みんな、暗がりであんぐり口を開けていた。 ロッククライミングをする人ってのは、きっと落ちることを考えないんじゃろう。 上だけを、結果だけを見て登っとるんじゃろう。 みんなでお好み焼き屋に向かいながら、俺は空を見上げた。 ほうじゃ!上を見て歩くんじゃ! 俺は気分良く、みんなのバカ話に加わった。 2003.5.21. 工房の主人 |
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