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『ウェディング・シンガー』

 仕事から帰ると部屋に引きこもって映画ばかり観ていた。その何十本目かの一本がそれだった。
失敗したと思った。観たくない。けれど、目が離せなかった。
ドリュー・バリモア。確か子役として一躍有名になった後、酒やドラッグにおぼれ、廃人寸前だったという。復帰直後にはすさんだ感じが抜け切れていなかった彼女が、画面の中ではつらつと微笑んでいた。
彼女が立ち直れたのは、芝居があったからだとどこかで読んだ気がする。
自分にはそんなものがあるだろうか。
瑞希は、右手の人差し指の付け根にできてしまったふくらみを無意識になでていた。

喉の奥まで指をつっこんで、思い切り吐いた後は絶対にやめなきゃと思う。こんなに苦しいのはもうイヤだと。けれどふと気がつくと、瑞希とは別の意思を持った手がお菓子や、パンや、ケーキや、その他のものをつかんで自分の口に押し込んでいる。
「誰か助けて…」
苦しくて叫んだ。
けれど誰も助けには来てくれない。マンションの一室にいる瑞希に誰も気がつかない。ここには、自分を気にかけてくれる人は誰もいない。

 瑞希の実家は富山にある。誰かの家のできごとを、近所の人はみんな知っていた。それがイヤで地元の短大を出てから無理を言って東京に出て来た。
―東京に行けば何かがある。
いくつになっても自分のことを「みっちゃん」と呼ぶおばさんがいない代わりに、楽しいことがたくさん待っている。
そう信じていたはずなのに、現実は味気ないものだった。
会社と部屋とを往復するだけの生活に、瑞希の心が悲鳴を上げ始めた。コンビニとビデオ屋に行く回数が増え始めたのもちょうどその頃からだ。けれど買い物に出ても、顔も見ずに袋を手渡される。それがたまらなく寂しかった。

会社からの帰り道、商店街を抜けた少し先には、いつものコンビニの看板が光っていた。
けれど、またそっけない態度で袋を突き出されるのかと思うと気が遠くなった。誰かと話がしたいと切実に思った。
溜め息をついて店の前を行き過ぎようとした時、惣菜屋のショーケースに目が留まった。
「ひじき煮」「厚揚げ」「肉じゃが」「きんぴら」。なつかしい名前が並んでいる。
瑞希は無意識に、店先に一歩近づいていた。
「お姉さん、今帰りかい?」
割烹着を着た店のおばさんが声をかけて来た。
「ええ、まぁ…」
「どうしたんだい、疲れた顔して。そんな時はひじきだよ、ひじき」
コロコロと笑うおばさんが、ふと田舎の母親を思い出させた。
「じゃあひじきと…あと、揚げ出し豆腐下さい」
瑞希が言うと、おばさんは「おまけしとくからね」と、ひじきを山盛りにしてくれた。
「一人暮らしなんだろ?栄養あるもん食べなきゃだめだよ」
瑞希は包みを受け取りながら頷いた。
「たまにはお母さんに電話でもしてあげな。あ、電話もいいけどね、手紙も嬉しいもんだよ、後で何度でも読み直せるからね」
おばさんの声に見送られて、瑞希は帰り道を急いだ。

 きちんとお茶碗によそったごはんで夕飯を済ませると、ふとテーブルを立った。便箋と封筒がどこかにあったはずだと、押入れの奥を探す。
使いかけの便箋を見つけて引っぱり出すと、一緒に挟んであった一通の手紙が床へと落ちた。
手に取って見ると、それは東京に出て来たばかりの頃に田舎の母親が送ってくれたものだった。
「反対はしたけれど、やりたいことがあるなら思うようにやりなさい。でも帰って来たくなったらいつでも帰っておいで。お父さんと2人で待ってるから」
母からの手紙にはそんな内容が綴られていた。
自分は何がしたくて、何を探してここに来たのだろう。東京に出て来たばかりの頃は、夢も希望も両手に抱えきれないほど持っていたはずだった。それが今は、どこへ行ってしまったのだろうと、ふと思った。
一字一字、かみしめるようにして手紙を書き始めた。けれど、途中でいてもたってもいられず、瑞希は電話を手に取っていた。思えば、電話をかけるのも何週間ぶりかのことだった。
「瑞希?元気でやっとんの?」
少しばかり訛った声で母が電話に出た。瑞希を気遣う温かい声に、涙が知らずに溢れて来た。
「ちゃんと食べてるの?仕事はどうなの?夜遊びなんかしてないでしょうね。風邪ひかないように、あったかくしないと…」
口を開けば変わらずに出てくる、おせっかいな言葉が嬉しくて泣き笑いになった。

―帰る場所はちゃんとあったんだ。
電話を切った瑞希は、一人つぶやいていた。
嫌になったらいつでも帰ればいい。そう思うと、もう少しここでがんばれそうな気がした。

2004.3.19. 水無月朋子


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