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「ヴァン・ヘルシング」


雨混じりの強いビル風にあおられて、スカートのすそが翻る。奈々子はひとつ舌打をすると、髪とスカートを押さえて周囲を見回した。駅のロータリーに並んだ車を認め、すばやく乗り込む。奈々子は運転席に向かって声を尖らせた。
「台風の夜にわざわざ呼び出したりして、一体どういうつもり!?」
 運転席では後輩の哲也が能天気に笑っていた。
「奈々子さん、最近よく下向いてるでしょ。たまにはそういうの全部、ぶっ飛ばすくらいバカなことするのもいいんじゃないかと思って」
 俺さ、台風とかカミナリって好きなんだ。子供の頃もよく窓にへばりついて、遠くで光ってる稲妻とか、道路を飛んでく看板とか、ひっくり返ったおばさんの傘とかずっと見てんだよね。親はヘンな子なんて首を傾げてたけど。俺、自分が変わってるとか思わないけど、人にあれこれ言われるのに慣れたのはその頃からだったのかなぁ…。
あはは、と声を上げて笑う哲也に奈々子はため息をつきたくなった。
確かに哲也は、演出家に怒られても、先輩に怒鳴られても「すみませーん」と頭を下げ、さほど落ち込む様子もなく稽古を続ける。そんな哲也と奈々子は同じ劇団に籍を置く役者仲間だった。けれどその劇団に未来があるかと問われたら考え込んでしまう。奈々子が下を向いているというのなら、きっとそれが原因だと自分でも判っていた。
「一体どこへ行くつもり?」

ハンドルを握る哲也に尋ねると、とりあえずドライブしない?という声が返って来た。
「ドライブ?こんな大雨の日に?事故でも起こしたらどうするのよ」
「大雨だからいいんじゃん」
 奈々子の制止も聞かず、哲也の運転する車は、第三京浜の黒光りするアスファルトを高速で走り抜けた。そんな哲也の図太さが腹ただしくもあり、同時に羨ましくもあった。激しさを増した大粒の雨がフロントガラスを叩き、横殴りの雨と風が不安定に車を揺らす。ワイパーなどまるで役に立たない。幅の広い道路でなかったらいつ事故を起こしてもおかしくなかった。
「ちょっと、スピード落として!」
「じゃあ奈々子さん、俺と付き合ってよ」
「年下のくせに。生意気言わないで」
 哲也は確か奈々子より4つばかり年下のはずだ。奈々子はもうすぐ30になる。女優でいるにはぎりぎりの年齢だった。
哲也の冗談めかした告白を、奈々子はこの日も取り合おうとはしなかった。今まで自分が望んだように、自分で思った通りに生きて来たのだ。その妨げになるものは、ひとつとして側に置きたくなかった。その代償を払う時が来るというのも判っている。覚悟はできているつもりだった。だからこそ哲也の言葉にも首を振り続けている。これからも哲也の気持ちを受け入れるつもりはなかった。

けれどその日、奈々子の胸には空と同じ嵐が吹き荒れていた。
「いつまでもいい加減なことをしていないで、少しは先のことも考えなさい。あなた、いくつだと思ってるの?」
 田舎で暮らす母親からの電話。その言葉が種になり、目を逸らし続けている「現実」という葉を広げる。奈々子の友達は皆、結婚している。子供がいる人も少なくない。そんな友人たちと顔を合わせるたびに、彼女たちは口々に言うのだ。
「奈々子は自由でいいね。主婦なんてお金の苦労ばっかりで退屈なだけよ」
 自由に生きているという人がいる反面、いい加減に生きているという人がいる。友達は奈々子のことを羨ましがるけれど、母親は嘆いてばかりいる。自分はどっちを向いているんだろう。その時の奈々子は、嵐の最中に羅針盤を失くした船のようだった。
「奈々子さん、なんかあった?」
「…今まで、何を守ろうとして来たのかなって。居場所が判らなくなったっていうのかな。自分は自分でいるだけなのに」
 ぼんやりしているようで、哲也は時に鋭い言葉を投げてくる。強がりを言う気力もなく、奈々子はふと本音を漏らしていた。だが哲也はそれには答えず、突然言い出した。
「そうだ。ついでに映画も観ようよ。こんな雨だし、ヴァン・ヘルシング観るのにぴったりって感じ。きっと奈々子さんも好きだと思うな」

 神奈川の海岸沿いにあるドライブインシアターで、奈々子はその映画を観た。ヒュー・ジャックマンが演じたモンスターハンターは、ある時は勇者だと崇められ、またある時は悪魔だと追いたてられた。彼はどちらの自分でいたかったんだろう。そして彼が本当に望んだものは何だったのか…。
奈々子はその映画の間中、そのことばかり考えて、そして答えは見つからなかった。けれど、なぜ哲也がこの映画を自分に見せようとしたのかは判る気がした。
自分は自分でいればいい。
奈々子の代わりは他にはいない。
哲也はそう言いたかったのかも知れない。
他人の感情を敏感に察し、さりげないやり方で励まそうとする生意気な後輩。そんな年下の男に和まされている自分を感じ、奈々子は少しだけ優しい気持ちで言った。
「東京に戻ったら、ごはんでも食べて行こうか」
 台風の目に入ったのだろうか。東京に帰る途中で見上げた空にはかすかな星が瞬いていた。

2005.3.28 水無月朋子

 


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