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『男が女を愛する時』

 隣で妻が寝返りをうった。
まだ外は真っ暗なのが、カーテンを通しても分かった。
結婚5年目。子供はいない。
私は33歳。まだ追いかけたいものがあったし、4歳年下の妻も国家資格を目指して勉強中だ。
家庭はうまくいっている。
私はすぐに別のことに考えを向けた。仕事のこと、そして週末に自分が作っているテニスサークルのこと。
どうもそりが合わない上司のことを考えているうちに、私は再び眠ってしまった。

 私が起きると、妻はいつものようにバイトに出かけるところだった。
「今日は夜、旅行に行くからね。」妻が言った。そうか、忘れてた。今晩だったっけ。
「ノブユキが帰ってくる前に出ちゃうから。夜ご飯、用意できなかいけど、ごめんね。」いいよいいよ、適当にその辺のもので食うから。
「今日ゴミの日だから…」分かってる。気にしなくていいから、早く行っといで。じゃあね。

 午後6時半。会社から帰る電車に揺られながら、考える。
我ながら、見本のような夫だ、と思う。妻が一人で友人に会いに行きたいと言ってもすぐに行かせてあげる。自分のことは自分でする。まじめに働いている。洗い物もやっている。妻が突然、手に職をつけるために勉強したい。そのためにしばらくバイト生活になる、と言い出したときも、すぐに応援態勢に入った。

電車は間もなく自宅アパートの最寄り駅に到着する。
妻はすでに家を出ただろう。夜行に乗るんだ、とはしゃいでいた。
帰ったら何を食おうか。焼そばでも作るか。そうだ、久しぶりに一人で映画でも見るか。
私はレンタルビデオ屋に入った。
何か、じっくり見るような映画が見たい、と思った。
ふと、先日妻と二人でここに来た時、彼女がしきりに見たいと言って借りたビデオを思い出した。タイトルは『男が女を愛する時』。
いつもレンタルビデオを選ぶのは私だ。だからその日、彼女が借りるビデオを主張したのはかなり珍しいことだった。その夜は、一緒にそのビデオを見ながら、私は気付いたら眠ってしまっていた。結局ほとんど映画を見ていなかったのだ。
映画が終わり、目を覚ました私に、妻がひどくがっかりしていたのを思い出した。
同じビデオを2回借りるのは気が引けたが他に特に見たいビデオがなかったのもあり、その映画を、私は借りて帰った。

 メグ・ライアンが出てくるので、すっかりラブコメだと思い込んでいた。
映画の中で、アンディ・ガルシアは理想的な夫だった。しかしやがて、妻がアル中であることを知る。
夫は怒る。一体、何が不満なんだ、何がいけないんだ!
私は映画を見ながら、そうだそうだ、とかなり共感していた。
メグ・ライアン扮する妻の、アル中のリハビリを通して物語は進み、なぜ彼女が酒に溺れるようになっていったのかを描いていく。
穏やかで幸せな生活の中に潜む、夫婦の亀裂について映画は説明してゆく。

 エンドロールが出た途端、私は立ち上がっていた。
妻がなぜこの映画を見たがっていたのか、いや、なぜ私に見せようとしていたのか。
壁の時計を見た。もう夜行列車は出発してしまっただろう。

私は妻を大事にしてきたつもりだ。
しかし、彼女の列車が何時に出発するのか、知らない。
なぜ急に旅行に行きたいと言い出したのか、知らない。
彼女が夢を叶えることを願っている。
しかし彼女の勉強が今どんな状態なのか、知らない。
今後、どのようになりたいと考えているのか、知らない。
愕然とした。

私は、私のことしか、考えていなかった。

あせり。
妻の携帯に電話する。
彼女は電車の中だ。
電話をかけても、留守電だろう。
それでもいい。
ひとこと。
ただ一言、
心を込めて、元気で帰っておいで、と言いたかった。

2003.11.17. 工房の主人



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