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『F/X 引き裂かれたトリック』

 その夜、正志は寝付くことができなかった。先程見た映画を忘れることができなかったからだ。
たまたま見た深夜映画にすっかり興奮してしまった。
しかし、正志はその面白さに心を奪われたのではない。
仕方ない、と正志は布団を蹴り上げ、勢いをつけて起き上がった。
時計を見る。午前3時。
目はすでに暗闇に慣れている。イスに座る。
机の上の蛍光灯をつける。
一瞬頭が真っ白になり、視界を取り戻すのに合わせて正志は目をゆっくりと開けた。

大学のレポート用紙を一枚破り、お気に入りのペンをにぎる。
『宮本正志19歳は、今日ここに誓う。』
一瞬考え、またペンを走らせた。
『「F/X 引き裂かれたトリック」。
もし俺が20歳になってもこの映画のことを忘れられなければ、それは本物だ。俺は映画の特殊効果マンになる。
そのためにはアメリカに行かなければならない。ハリウッドに行かなければならない。』
正志は映画の感想を書き、最後にその日の日付けを書いた。
正志はそのレポート用紙を机の引き出しにしまった。
少しまだ肌寒く、それがまた頭をきりりと引き締めていた。
すがすがしい、と正志は思った。

 正志は何かを探していた。夢中になれる何かを。ずっと追っかけたくなるような何かを。
自分は不幸な人間ではないのは分かっている。むしろ恵まれているのだろうと思う。
でも、幸せだとも思わない。
俺はわがままなんだろうか。正志は自問した。
世の中の人間は皆、自分の行くべき道をただ盲目的に進んでいるのだろうか。どこか別の道を探そうとはしないのだろうか。
気付いたら自分の前には常にいくつかの選択肢が用意されていて、そのどれにも自分はあまり興味がない。
しかし選ばなくてはいけなくて、急がなくてはならなくて、後戻りなんてできなくて…。
そして選べば選ぶ程、その後の選択肢はどんどん少なくなっていく。
英語が得意だった正志は、通訳になろうかと考えた。そして帰国子女と出会い、勉強するのが馬鹿らしくなってやめた。
本が好きだった正志は、小説を書いて友人に見せた。彼は、小説とは何か分かってるのか、と批判を始め、正志はそれを捨てた。
毎年絵のコンテストに応募していた。それを知った同級生は正志を笑った。もう誰にも言うまい、と正志は思った。
ものを作るのが好きだった正志は、大学で機械科に進んだ。
そしてまったく興味が湧かず、半年で行かなくなっていた。
自分を理解してくれる友人は大学にはいない。正志はそう思った。
皆、自分の進むべき道をしっかり「知って」いて、何の疑いも持っていないようだった。
正志は、それが不思議でしょうがなかった。

 ある晩、正志はその映画に出会った。
優秀な特殊効果マンである主人公が事件に巻き込まれ、得意のSFXを駆使してそれを解決していく。
特殊メイクアップで変装したり、血糊や弾痕を使って死んだフリをしたり…。
映画を見ながら、正志はこれだこれだ、とうれしくなった。自然と、主人公に自分の姿を重ねていた。

特種メイクを教えてくれる学校は、神奈川県の端にあった。
正志の家から片道2時間。
説明会の参加者は、正志の他に7人くらいいた。
全員、高校生くらいに見えた。

アメリカ。ハリウッド…。
思い付いたものの、あまりにも現実味のない言葉だった。
行くにはどうしたらいいのか。言葉はどうするのか。留学になるのか。
どのくらい行けばいいのか。お金はいくらかかるのか。そのお金はどうするのか。
勉強して仕事になるのか。仕事はたくさんあるのか。日本人でもなれるのか。日本でも仕事はあるのか。
誰に聞けばいいんだ。誰が知っているんだ。
分からない。分からない。分からない…

耐えろ、努力しろ、がんばれ…
親はいつも同じことを言う。
でも正志は、完璧なものを探していた。100%自分にぴったりなもの。何の疑いもなくすべての努力を捧げられるもの。
まだ若い、柔軟になれ、適応しろ…
どんなアドバイスも、耳に入らなかった。
いずれ分かる、自分を信じろ、きっとうまくいく…

興奮しながら行ったその説明会は、まったくの期待外れだった。
”業界の重鎮”と紹介された講師が話してくれた。「特種メイクを動かす一つの技術にロボット工学があります…」
なんだ、自分が大学で学んでいることと同じじゃないか。正志はぼんやり講師の顔を眺めた。
そこで勉強している人間の目に、正志は「熱」を見なかった。
そこは大学の授業の空気と同じだった。

家に帰ると、正志はレポート用紙を引き出しから取り出した。
『…それは本物だ。俺は映画の特殊効果マンになる…』
ちらりと書かれた文字を見て、すぐにくしゃっと紙をまるめてゆっくりとゴミ箱に捨てた。

夢を思い付いて、それをあきらめる。
もう何回目だろう、と正志は思った。

2004.1.22. 工房の主人



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