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「アタメ わたしを縛って!」


 精神異常と正常という線引きは、一体どこで別れるのだろうか。  

 性愛の感覚の正常さ、異常さとは、一体どこで別れるのだろうか。

と、「アタメ」という映画を見て思った。
小学生の頃にIQテストというのをやらされた記憶があるけれど、あの結果は一体何だったんだろうか。そのラインぎりぎりで、一応は「普通レベル」とみなされた人たちは、IQが高い人たちの間でもみくちゃになっていたりはしないんだろうか?
逆にギリギリ低いと判定され、知的障害者の枠の中に入れられた人は、どうだったんだろうか。  

 全ての人が完璧ではない。

縛られるうちに、いつしか恋に落ちてゆく。そんなことってあり?
あっさり描いてくれたアルモドーバル。はちゃめちゃな映画、キッチュで熱い国、スペイン。こんな国なら、わたしでも”普通”に暮らしていけるかな。

過保護に育てられたわたしは、自分で何かを選び取ることができない人間に育ってしまった。常に親がわたしの手かせ、足かせとなっていた。それが原因なのか、なぜかわたしには「箱」や「容器」に対して執着心がある。要は、「何かに詰め込まれた状態」に関心があるのだ。しかし、その容器の形状、素材、質感にはこだわる。そして何が中に入っているのかにも。もしかしたら、それらが唯一わたしが「選べる」ものだからかもしれない。

金魚が好き。金魚を飼いたい。しかし、水槽ではなく金魚鉢で。
縁がひらひらした形の、昔からある金魚鉢ではなく、ほぼ完全な球体のような金魚鉢で。
ガラス球の中にひらめく生きた花、金魚。
大学生の頃、ガラス球の中に閉じ込められた女性の絵を描いた。球体の半分まで満たされた水にうつぶせに浮かぶその女性は、生きているのか死んでいるのか、わたしにもわからなかった。ただただ、静かに流れる時間だけを描きたかった。
彼女がそこから出たがっているのか、その状態に甘んじているのか、それすらもわからない。

わたしは指輪が好き。
生まれて初めて買った指輪は、金色で細い、いわゆる結婚指輪のようなタイプのだった。それを右手の薬指にずっとはめていた。しかし、金メッキはすぐに剥げてしまった。24時間ずっと指輪をはめ続けていたからだった。自分の手から指輪を外したくなかったから。
それは意識的に「自分を縛るもの」として身に着けていた。実家を出て一人暮らしをはじめてすぐのこと。当時18歳。  

 縛られていることによる、安心感。

映画「アタメ」の中のポルノ女優は言った、
「縛って、わたしが逃げないように。」と。彼は、彼女が逃げないことをわかっていた。

結婚する前、「未来の夫となる人」とじっくり話をした。
「わたしは、結婚するなら絶対にメ離婚モはしたくないから。」
彼もまったく同じ意見だった。「離婚しないように、いつもどんなに小さな問題についてでもきちんと話し合って解決していこう、ずっと一緒にいよう。」と、二人の気持ちは一致した。
そして、わたしたちの指にはそれぞれに指輪がはめられた。
それは18歳の時に買った指輪ととてもよく似た、金色の指輪。しかし今度の指輪はメッキじゃない。ずっとずっと、死ぬまではめていることができる指輪。  

 そしてわたしは、安心する。

2004.10.22 ジョリ

 


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