ホーム映画にまつわるものがたり『あ〜お』 >『俺たちに明日はない』

俺たちに明日はない


 自信満々でイヤなやつ。それが、北村優一に対するあかねの第一印象だった。
アメリカ資本の通販会社で、北村はニューヨークの本社から日本に戻って来た、いわゆるエリートと呼ばれる種類の人間だった。
ボストン大学を出た出世頭。ルックスもよく、おまけに独身とあって女子社員たちは目の色を変えていたが、茜にとって、そんなことはどうでも良かったのだ。
「日本市場の成長の伸び悩みは、体制変革の遅延と、新規市場のリサーチ不足が原因でしょう」
 営業部に配属されるというその初日に、北村は事業部全員の前で演説をぶち、あげくの果てには、茜の所属するマーケティング部の市場開拓の甘さまでを指摘した。
『―そんなこと、あんたになんか言われたくないわよ!』
 マーケティングの仕事がしたくて転職して来た茜にとって、北村は他人の仕事にまで口を出す、いけすかない男でしかなかったのだ。

 そんな北村に茜が一目置くようになったのは、営業推進の会議の席だった。ろくに仕事もせず、売上予算ばかりを気にする役員たちに北村は真っ向から反論した。
「リスクを恐れて現存の体制を変えず、利益追求だけを望むこと自体、ナンセンスもいいところです。大体、商品開発も任せきりで、ハンコを押すだけの役員の方々は、顧客のニーズをどうお考えなんでしょうか」
 北村は、役員に対して「顧客を知ろうとしないのは職務怠慢だ」とまで言い放った。 調査結果の資料などろくに評価してもらえず、商品管理ばかり押し付けられていた茜は目からうろこが落ちる思いだった。
北村は、茜にマーケットデータの提出を求め、新規プロジェクトの発足を提案した。それは、リピーターを年齢・職業・リピート回数などに分類し、ニーズに合ったピンポイントの販売活動を行う。その傍らで、積極的に広告宣伝を打ち、会社自体の知名度を上げるという大掛かりなもので、おのずと茜は北村と手を組むことになった。

 共通体験という言葉がある。例えば、揺れる吊り橋を一緒に渡った後に告白する。あるいは、言葉の通じない外国で行動を共にする。遭難して一緒に一夜を過ごす。そんな恐怖体験を共有すると、恋愛に陥りやすくなるという現象だ。
だとすれば、ボニーとクライドはどうだったのだろう。悪名高きボニー&クライド。『俺たちに明日はない』という映画で暴れまわっていたふたりである。彼らが互いこそ唯一の相手だと思い込んだのも共通体験のなせる業だったのではないか。
ふとそんなことを考えてしまうほど、茜と北村に対する風当たりは強かった。その時の2人は、その状況において、まさにボニーとクライドだった。

けれど北村の仕事に関わった茜は、それまでにない充実感を覚えていた。仕事は多忙を極め、連日連夜の残業が続いた。けれどそれこそが茜の望んでいたことなのだ。中途半端な商品管理にはうんざりしていた。焼け付くような焦りと高揚感のくり返しで毎日が過ぎて行った。

だがプロジェクトは失敗した。日本の顧客は、北村の思ったようには成長していなかったのだ。時期が早すぎた。敗因はそれに尽きた。

 北村は中国の提携工場へ派遣されることが決まった。そして茜にも、総務部への転属が言い渡された。
マーケティング部に出勤する最後の日、私物を片付ける茜に声をかける者はいなかった。見てみぬふり。それがこの会社の体制だと、痛いほど感じていた。
「よう、飲みにでも行くか?」
 今ではもう、すっかり軽口を叩く間柄になった北村が立っていた。
「これからどうするの?」
 会社のエントランスを出た茜が訊ねる。北村はさばさばと言った。
「中国の片田舎で冷やメシでも食って来るさ。あんたは?」
「どうしようかな。今さら総務へ行っても退屈しちゃうかも。お嫁にでも行こうかしら」
 冗談めかして言った茜に、北村も同じ口調で答えた。
「チンタオまで来る気があるなら、いつでも引き受けるぜ」
 嘘ばっかり。北村を追って茜も歩き出す。
前を行く北村の肩は、夕暮れの日差しに染まっていた。その背中には、悲壮感などひとかけらも漂ってはいなかった。
中国の工場へ行っても、自分の信念を変えることなく暴れまわるのだろう。もしかしたら、そこでもこんなことになって、もっと酷いところへ飛ばされるかもしれない。あるいは突然失業することだって容易に考えられる。
それでも彼は、きっとまた、こんなふうに飄々と会社を出て行くに違いない。
茜は、北村の肩にとまった光の輪を見つめながら、こんな相手となら、どんな所ででも生きて行けそうな気がしていた。

2004.8.16 水無月朋子

 


映画工房カルフのように 【http://www.karufu.org/】
All rights reserved ©2001.5.5 Shuichi Orikawa
as_karufu@hotmail.com
ホーム映画にまつわるものがたり『あ〜お』 >『俺たちに明日はない』