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『アダムス・ファミリー』

 手には人格がある。
 美鈴はいつからかそう信じて疑わなくなっていた。
 誰かが言っていたのを聞いたのか、あるいは何かの小説にそんな話があったのか。
 そのきっかけはもう忘れてしまったけれど、ある頃から、美鈴は人に会う度に、その人の顔や話し方と同じくらい、その人の「手」を意識するようになって行った。
 そんなふうに気をつけて見ると、手の小さい人は神経も細やかで……言い換えればどこか気が小さくてせっかちなところがあったし、手のひらがいつも湿っているような人は、陰湿で変わり者だった印象がある。
 そんな基準で選んだ雅紀は、関節がごつごつと大きくて、無骨な手をした人だった。
 学生時代にバイトをしていた居酒屋の厨房でいつもフライパンを握っていた雅紀の手は、いつもからりと乾いていて、そして雅紀本人もその手の通り、おおらかで細かいことを気にしない、声の大きい人だった。
 雅紀を思い出す時、美鈴はいつも彼の大きな手を想う。
美術系の大学に通いながら、映画にばかり夢中になっていた雅紀。いつか映画関係の会社に入って、大道具を作るのが夢だと言っていた雅紀は、学校でもそんな関係のサークルに入っていて、その手にはいつだって切り傷やささくれが絶えなかった。
「こないだはさ、こーんなでっかい映画のセット作ったんだよ。裏から見るとものすげえちゃっちいんだけど、あれはいい出来だったと思うよ、うん」
そんな風に、両手を広げて笑って話す雅紀の手は、決して綺麗というわけではなかったけれど、傷だらけの手でいることこそが雅紀らしいと美鈴はずっと思っていた。
 ケンカをした翌日、そっぽを向きながらも美鈴の手を掴んで歩いた雅紀。
 美鈴が泣いている時は、困った顔をしながらも、何も言わずに黙って頭を撫でていてくれた。
 ぶっきらぼうで、ちっとも優しくなんかなかったけれど、美鈴を甘やかして可愛がるのがとても上手だったあの手。
 その手を離してしまったのは美鈴の方だ。
 美鈴の方が、二年早く短大を卒業して社会人になった。そして、目の前には新しい世界が開け、美鈴の周りには大人の知り合いが増えて行った。
 会社帰りに誘われたバーで、ネクタイを緩めるようにしながら美鈴の知らないことを教えてくれた先輩の、そのワイシャツから覗く手がとても知的に見えてしまったあの日。
 それに比べて、いつもデートは居酒屋で、焼酎のソーダ割を飲みながら夢の話ばかりをする雅紀が、急に幼く思えてしまったのだ。
「社会人になったらさ、いつまでもそんなことばっかり言ってられないんだよ」
 そんな些細な口論がきっかけで、雅紀との間は急速に離れて行った。
『居酒屋の安いワインは嫌いになりました。これからは少しづつ、カクテルの味を覚えたいと思います』
 最後のメールにはそう書いた。雅紀からの返事はなかった。
 けれど、憧れとともに見つめていたワイシャツから覗く手の持ち主は、やっぱり美鈴にとっては大人過ぎて、仕事の先輩としてのアドバイスはくれても、美鈴を可愛がってくれる手ではなかった。
それに気づき始めた頃、背伸びした店で話をしているような時などに、時おり、気持ちにわずかな軋みを感じた。そんな時にふと思う。
『手だけでもいいのに…』
 あの雅紀の大きな手が懐かしい、と。
 何かの映画で見た、手だけのモンスター。なんて言ったっけ。
たしかハンドくんという名前だった。映画のタイトルは…アダムス・ファミリーだったっけ…。
いつか見た映画を思い出す。
ハンドくんは、手だけのくせに葉巻をたしなみ、チェスも上手かった。そのくせ主人のゴメスには忠実で、彼がゴルフをする時などにはボールを自分で持って来たりもした。
頭が良くて、優しくて。そして、とてもいたわりに満ちた手だと思った。もし彼に体全部が付いていたら、きっと美鈴は惹かれていただろうと思わせる手だ。
『雅紀の手もあんなふうに自分の側にいてくれたらいいのに』
 不安な時にはぎゅっと肩を掴んでくれた。疲れている時にはそっと髪を触っていてくれた。眠る時には居心地の良い枕になってくれたりもした。そんな、雅紀の手が懐かしいと思う。
今さらどうすることもできないと判っているのに、美鈴は泣き笑いのような気分になった。
 当たり前のように段々と大人になって行く同期の女の子たちの中で、自分だけが違うことを恐れてしまった。大人びたお店や、年上の彼氏のことを自慢する彼女たちの中で、学生だった雅紀のことを素直に話せなかった。

 映画の中で見たゴメスの奥さんは、確かモティーシアという魔女だった。彼女はバラの花の頭を切り落として花瓶に飾ったりしていた。
 価値観の逆転したゴメスとモティーシアの夫婦は、近所の人からけむたがられていたりしたけれど、見ているこっちが羨ましくなるくらい仲が良かった。
『もしあの時、そんなふうになれていたら…』
美鈴は、モティーシアになれなかった自分を悲しく思いながら、もう遠くなってしまった雅紀の手がしたように、そっと、自分の肩を抱いた。

2003.4.23. 水無月朋子



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