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突然『キンダガートンコップ』 (6)

挑戦者:工房の主人


俺、母校に帰る

 平日の昼下がり、俺は6年間通った小学校の門をくぐった。
犬をつれてたまに散歩に来てはいたものの、ほとんど足を運ぶことはなかった場所。
そして、そのまままっすぐ職員室の場所に向かう。
なんかちょっと、ドキドキしていた。
立ち止まらずに、俺はどんどん進んだ。立ち止まると、そのまま動けなくなりそうだったからだ。

なんて言えばいいんだろう。
サラエボの小学校と文通しませんか?
…うーん。

受付なんてものもないし、誰に話しかければいいのかも分からない。
懐かしい場所であるはずなのに、それよりも違う世界に飛び込んでいく感覚が抜けない。
つっかけを履いた先生らしき人が、すっと横を抜ける。ドキっとしたが、知らない先生だった。
チャイムが鳴った。
ああ、授業が始まるんだ…
学校はシンとしている。

誰か、知ってる先生がいるといいな、と思った。
職員室に入ると、一番近くにいた教員らしき人に、声をかけた。
「あの、卒業生なんですが、えっと、校長先生にお会いしたいんですが…」

一番期待していた、小学校5、6年の担任だったS先生は別の学校に転勤になっていた。
俺は校長室に案内され、大人しくソファに腰かけた。
変な気分だった。
校長室の掃除を担当していた時期も、かくれんぼや鬼ごっこをしてサボってばっかだった。

そんなことを考えていたらドアが開き、校長先生が入ってきた。当然、知らない人だった。
「あ、お忙しいところ突然すみません。私は○年度の卒業生で…」
自分の身分と、小学校時代の先生の名前を挙げて会話の突破口を開くと、そのままサラエボの話に入った。
先生はじっと黙って聞いてくれた。
昔は校長先生という存在は雲の上だった。今、俺は一対一の人間として話している。不思議。
一通り話し終わると、先生はふ、と息をついた。
「子供達にもね、そういう外国の話を聞かせてあげることはとても大切だと思います。」
 ただ、すぐに何をどうする、とお返事ができない。他の先生たちとも話し合って、何かできることを探ってみたいです、と先生は続けた。
よろしくお願いします、と俺は頭を下げた。


旅が終わって

 サラエボを含めたこの時の放浪は、後から考えるとちょっとした変化を俺に与えていた。
まず、一人旅にまったく興味がなくなってしまったのだ。
サラエボでの体験が、基本的に寂しがり屋の俺の急所を突いたのだろうか。
何かに属したい。自分の基盤を作りたい。
そんな気持ちが芽生え始めた気がする。

そしてもう一つの変化は、『表現する』ことに対する考え方である。
子供達に何かを伝えるという行為を通して、『表現』には目的があるのだ、という発想を得たような気がする。
もちろんこれは真理ではない。
俺にとっての表現とは、何か目的をもって伝えることでありたい。そんな風に今は思う。


S先生からの手紙

 小学校の時、担任をしてもらっていたS先生から手紙が届いた。
校長先生に話を聞いてもらった後、俺は昔の恩師に手紙を書いていた。その返事だった。
S先生が赴任している小学校の校長先生が、英会話に凝っているのでその辺りから話を進めてみたい、というお返事だった。
どんなことでもお手伝いします、と俺は書いた。生徒一人一人の手紙を添削することすら、やりますと熱っぽく伝えた。

しかし、その情熱も、やがて薄れていく。


弁解と反省

 俺は、『表現』することを猛烈に始めた。
それは映画、だった。
映画作りの日々は、俺を、サラエボから遠ざけていった。
心のどこかで何かしなきゃ、と気になりつつも、やがてその思いも薄れていってしまった。

S先生からはそれからしばらくしてもう一通手紙をいただいた。
いろいろ手を尽くしてみたけれど、やはり難しいです、という内容だった。
先生はあちこちに話を持っていってくれたそうで、どんな反応だったか、も詳しく書かれていた。
先生への感謝の気持ちと、すでに気持ちが薄れている自分への蔑視と、結局何もできなかった状況へのあきらめと、そしてサラエボのガキんちょや先生への申し訳なさとが混じりあった、不愉快な感覚だけがべっとりと残った。

サラエボで起こっていたのは、民族や宗教が違うという、日本人にはなかなかピンとこない範疇の戦争だった。
市民レベルで、戦争において誰が悪くて誰が正しい、ということは一概に言えないと思う。
どちらも加害者であり、被害者である。
憎しみを生み出したものが悪である。

闘い始めたものをおさめるのは大変だ。
戦争を始めないようにする方が、ずっと簡単なはずだ。
戦争を始めないためには、憎しみを生み出さないようにする努力が必要だ。
憎しみを生み出さないようにするには、憎しみの元を理解しなきゃいけない。
なぜ人が殺しあうのか、知らなきゃいけない。
そして、それが馬鹿らしいってこと、何も生み出さないってことを、知らなきゃいけない。

すべきは、戦争のことを伝えること。
罪滅ぼしじゃないけれど、次のようなページを作ってみた。

ボスニア・ヘルツェゴビナについて

素の俺を知ってる人からは、「お前みたいに血の気の多い、すぐキレる人間が何を言ってんだ」と言われそうだ。
まあそういう面もあるにはあるけど、これでも平和主義者なんだよ!
俺がもし表現者として活動を続けていくことができるなら、平和というテーマもいつかは扱ってみたい。
表現とは、目的を持って伝えていくことだから。

最後に。

俺はガキは苦手である。

でも、
そんなに嫌いじゃない。


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