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ボスニア・ヘルツェゴビナ



ボスニア・ヘルツェゴビナ

■ボスニア・ヘルツェゴビナ

 1992年、ユーゴスラビアから独立。
すぐにイスラム教徒のボシュニャク人(血統や言語はセルビア・クロアチア人とほとんど同じだが宗教が違う)、ローマ・カトリック教徒のクロアチア人、東方正教会のセルビア人の間で内線が勃発。
互いの領土伸張を巡って激しい戦闘の後、1995年に国際連合の調停で和平に調印。NATOの監視下に置かれた。

クロアチア人とセルビア人の対立は歴史的なもので、相互不振を取り除くことは根後の課題であるが、絶望的とする見方が多数である。

■人種

 住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%などである。
それぞれ民族の差異は宗教と歴史的経緯によるものであって、血統や言語の面ではあまり差がない。

■言語

 言語は公用語がボスニア語、クロアチア語、セルビア語である。
各国語の違いはあまり大きくなく、方言程度である。

■宗教

 宗教は、ボシュニャク人がイスラム教、クロアチア人がローマ・カトリック、セルビア人がセルビア正教である。



出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


※「ボスニア紛争」「民族浄化」などのキーワードで検索すると、様々な記述を見ることができます。
ひとつの民族を徹底的に消し去ろうとする行為のひどさは、それらを読むだけで気持ちが悪くなってしまう程です。
ただ、この戦争のひどさ、むごさを書き連ねることはできても、それは僕が言いたいことではなく、だからここではざっくりとした説明にとどめたいと思います。

僕は広島で生まれ、そのため小さい頃から延々と平和教育を施されてきました。
住んでいる市内に、戦時中毒ガスを作っていて地図上には掲載されていなかった島があったり、少し車を走らせればそこには昔の海軍兵学校がある。そんな環境で育ちました。
正直、毎年毎年書かされる「平和に対する作文」には閉口していたものの、あの頃のそしておそらく今でも行われているであろう平和教育はすごく正しいんじゃないか、いいことなんじゃないか、とこの年になってすごく思うんです。

広島で行われているのは、戦争の惨さを教える教育ではありません。
『平和を教える教育』なんです。
戦争のひどさを通して、だからそんなことはやめよう!ということを繰り返し繰り返し教育している。
決して、原爆を落とした国を憎め、ということなんかじゃない。
もちろん、自分のちょっと前の先祖達を痛めつけた国に対して、いい感情なんて持ってない。
でも、そこからは何も生まれない。

例えばベトナム戦争について知る。例えばホロコーストについて知る。
そこから学べるのは、『どこがどこをどうした』という現実だけじゃなくて、なんでそんなことが起きたのか、どうやったら今後それが避けられるか、ということなんじゃないか。

ボスニア紛争の最中、いや、すべての戦争の最中、上から下に教育されていたのは『戦争教育』なんじゃないかと思う。
相手がどんなに憎いか、どうやったら仕返しができるか。そんなことばかり。
サラエボで、上から下に『平和教育』を施している先生に会うことができました。
世界は変わっていけるといいな、と思います。

そして、”何かよくないこと”が起こった時、僕は加わりません、とはっきり言えるようになりたいと思う。

(工房の主人)


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