ホーム映画にまつわるものがたり『ま〜も』
>『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』

 少年時代というものは、いろんなことが思いどおりにいかなくて、でも自分でなんとかする力もなくて、そういうもどかしさの中で大人になっていくんだと思う。
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』という映画の中で、自分の境遇に不満な主人公の少年が「僕は、宇宙に打ち上げられたライカ犬よりましだ」とつぶやく。
この言葉を、あの時の「ぼく」は理解できるかな、とふと思った。

*****
 その子犬を見かけたのは、ジョギングの最中でした。
ジョギングと言っても、ぼくはだらだら歩いていて、父さんも寺田君もずっと先に行ってしまってました。
子犬はまるまると太っていてふわふわしていて、抱きしめたいと思いました。子犬は道路わきの道草をくんくんかいでいました。

 ジョギングをしたい、と言い出したのはぼくで、日曜日に父さんと駅前にシューズを買いに行って、ぼくはなんだかうれしくて仕方なかったのです。そして月曜日、学校に行って寺田君にジョギングのことを言ったら、僕も一緒に走りたい、と寺田君も言ったのでした。
 そうやって3人のジョギングが始まりました。でも、ぼくはすぐにいやになってしまったのです。寺田君は父さんと仲良く話しながらどんどん走って、ぼくは全然ついていけません。始めのうちは父さんは待っててくれましたが、ぼくが歩くようになると、もう全然かまってくれなくなりました。ますますぼくは走るのがいやになりました。
ぼくは石をけったり、ぶどう畑の枝を折ったりして歩いていて、見つけたのがその子犬だったのです。
ぼくは父さんに、飼いたい犬がいるんだ、と言いました。捨て犬なんだ。
どうせ最初だけで続かないだろ、と言われましたが、絶対世話する、とぼくがムキになって言い返しました。
父さんは、明日その犬のところまで連れていきなさい、と言いました。
名前はもう決めてありました。ペスと名付けるのです。

 その日ぼくは父さんよりも、寺田君よりも、早く走ってその犬のところに行きました。「ペス」はそこにいました。ぼくはうれしくなって、初めてペスに近付きました。ペスは、驚いたようにこっちを見て、逃げ出しました。そして、近くの家の門に入り、そこにいたおばさんの足元にまとわりつきました。おばさんは、ペスを慣れた手つきで抱き上げて、ぼくを、見ました。

 日曜日の朝、父さんが突然、車に乗りなさい、と言いました。どこかいいところに行くんだろうな、と思いました。
車は山道を登っていきました。山の中に、大きなコンクリートの建物が見えてきて、父さんはその入り口で車を止めました。川が流れてて、石の橋がかかっています。鉄の門を抜けると、作業着を着た人が出てきて、父さんと何か話しました。
ぼくらは建物を抜けて、大きな庭に行きました。そこには、

犬がいました。
何十匹という、犬がいました。
全部の犬が、吠えていました。

柵の中に、大きくて毛が長い犬や、小さくて顔がくしゃくしゃのもいました。全部の犬が、競うようにぼくらの方に近付こうとしていました。全部の犬が、しっぽをふっていました。ぼくはどうしていいか分からずに、それらの犬を見ました。
どれか選びなさい、と父さんが言いました。犬をもらって帰る、ということに、その時やっと気が付いたのです。
もう、うれしいのとか、叫びたいのとか、走り出したいのとか、犬にだきつきたいのとか、いろんなものが一気にあって、ぼくは何もできませんでした。
どれもかわいい。
ぼくは、足元にいた、小さな犬を見ました。小さくて、まるまるとしてました。
これがいい、とぼくはおそるおそる指差しました。父さんがうなづいて、作業着を着た人がその犬を抱き上げました。
その瞬間、一斉に他の犬ががっかりするのが、ぼくにははっきりと分かりました。
ぼくは、そこから逃げたい、と思いました。

 足元には段ボール箱に入れられた子犬がいて、ぼくの手をずっとなめています。子犬はしっぽをずっと振っていて、段ボールにそれが当たってカサカサと音がしています。
助手席のサイドミラーに、さっき出てきた建物がうつっていて、あそこは保健所というところだ、と父さんが教えてくれました。捨てられた犬が集められてるんだよ。
どんどん増えた犬はどうなるの?とぼくは聞きました。なぜか、何となく、答えは分かっていたのかもしれません。ぼくは、父さんの答えを聞きながら、足元の子犬を見ていました。子犬を触っていると、父さんの声が遠くなっていきました。
あの犬達は分かってるんだな、と父さんが遠くでつぶやきました。

 朝のジョギングは、子犬の散歩に変わりました。寺田君も加わりました。子犬の名前は、ペスになりました。
ぼくは、誰よりも早く、ペスと一緒に走りました。
このまま、ずっとずっと走っていたいと思いました。
ペスはぼくの足にまとわりついてきて、うまく走れませんでした。ふんずけちゃうぞ、とペスに言いました。
ペスはうれしそうにぼくを見上げました。うれしくて、うれしくて、仕方ありませんでした。
散歩から戻ると、父さんがペスの左足をしきりにさわってました。何だか別れるのが寂しくて、でもがんばって家に入りました。ご飯を食べてから庭にいるペスを見に行って、学校に行く前にも見に行きました。

 次の日曜日、父さんがちょっといいか、とぼくを呼びました。母さんもそこにいました。
何だかよくないことを言われるな、とぼくには分かっていたんです。
ペスがびっこをひいていること。ずっとずっと、このまま大きくなると歩けなくなること。
父さんと母さんが、交互にぼくに話しかけていました。でも、声は遠くから聞こえていました。
別にいいよ。足が悪くても気にしないよ。ずっとびっこをひいたままだって、別にいいよ。
ぼくは心の中で反論していました。

 保健所には、父さんがペスを抱いて入っていきました。入り口の石の橋の上で、ぼくは待っていました。ぼくはずっと、ずっと、黙って下を向いていました。
父さんが出てきました。
一人でした。
父さんは、ただ、帰るぞ、と言いました。

助手席のサイドミラーに、保険所の入り口がうつりました。どんどん遠ざかっていきます。入り口には大きな鉄の門がついていて、道路と入り口の間には橋がかかっています。大きな川ではないけれど、ペスには飛び越えることは絶対にできません。
鼻のあたまがつんとなりました。目の下が急に熱くなって、ああぼくは泣いてるんだな、と気付きました。でもぼくはじっとしていました。父さんに見られると嫌だなと思いましたが、そのまま動きませんでした。涙がズボンに落ちて湿っていっても、そのまま動きませんでした。
父さんも一言もしゃべりません。
もうサイドミラーに保険所がうつらなくなって、それでも涙はぼたぼた止まりませんでした。

だから、
今はペスのことだけ考えて、一生懸命泣こうと思いました。

2003.7.5. 工房の主人



映画工房カルフのように 【http://www.karufu.org/】
All rights reserved ©2001.5.5 Shuichi Orikawa
as_karufu@hotmail.com

ホーム映画にまつわるものがたり『ま〜も』
>『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』