ホーム映画にまつわるものがたり『ま〜も』
>『マイ・フェア・レディー』

『マイ・フェア・レディー』

 私が彼女と話をするようになったのは、まあ言ってみれば偶然だった。
一限から授業のある日に限って寝坊して、ぎりぎりセーフで教室に飛び込んだ。教授にじろりと睨まれて、とっさに近くの空いてた席に座ったらそれが美那子の隣だった。
授業に間に合ったのはいいけれど、慌ててたせいでテキスト、忘れてた。そしたらあの子、私が何も言わないのにそっと自分のを滑らせてくれたんだ。ありがと、なんて小声で言ったら黙ってにっこり笑ったんだっけ。美那子のことはそれまでにも何度か見かけたこともあったけど、あの子がこんなふうに笑うなんて思わなかった。だって彼女って、正直、いつもみんなから浮いていたから。

 生物学だか遺伝子学だか取ってるらしいからなのかも知れないけど、野暮ったい服に銀ぶちのメガネでさ。年がら年中白衣なんか着て、小難しい本ばっかり読んでるから、やっぱ誰も進んで友達になりましょうって感じじゃなかったのは、まぁ判る気がするけど。
だけどどんくさい美那子がそんなふうに笑ったのが意外で、ついおせっかい心がくすぐられちゃったんだよね。
「あんたさぁ、少しはオシャレしてみなよ。そんなダサいメガネなんかやめて、コンタクトにするとかさ」
 そう言ったら彼女、しばらくしたら本当にコンタクトにして来たんだ。
それ以来、廊下ですれ違った時や授業が一緒になった時なんかに彼女の方から笑って手を振ってきたりしてね。それにやたらと私になついてくる感じで、お友達になれて嬉しいなんて言うしさ。それまではダサくて、ちょっと変わり者って感じの美那子だったけど、無条件になつかれてみると「メガネ外して堅っ苦しい白衣を脱がせりゃけっこうかわいいとこもあるんじゃん」なんて思ったんだ。
 だから私もつい服やメイクのアドバイスなんてしてみたりしてね。
「今年は花柄のプリントがいいみたいだよ。スカート、そういうのにしてみれば?」
 そんなふうに一言言うと、次の日にはしっかり春らしいプリントのスカートはいてたり。
「ちょっと髪切って、パーマかけてみれば?」
 なんて言うと、次の日にはふわふわウェーブに変わってたり。
 誰にも相手にされなかった、イケてない美那子を自分の意のままに変えて行くのは楽しかった。その時の私は、田舎娘のイライザを自分好の好みに変えて行くヒギンズ教授にでもなった気分だった。ほら、マイ・フェア・レディって映画、知らないかな? オードリー・ヘップバーンが出てたやつ。
 まぁ美那子はオードリーほど可愛いってわけじゃなかったけど、元々ダサダサだったのが普通以上になったのは、私の腕だと思うよ。うん。

 美那子の家に招待されたのはそれからしばらくしてからだった。そのことを同じゼミ取ってるヤツに話したら、最近あの子可愛くなったよね。俺、ちょっと気になってたんだよね。一緒に行ってもいい? なんて言い出した。まったく男って調子いい。でも美那子も確か、男と付き合ったことないって言ってたし、こいつ、顔はそこそこだけどいい奴だからちょうどいいかもなんて思って連れてっちゃったんだ。
そしたら彼女、ちょっと驚いてたけど笑ってこんにちは、って部屋へ案内してくれた。
行ってみて驚いたけど、彼女って大層なお嬢様だったんだよね。家なんて広すぎるくらいでさ。両親は仕事でずっと海外だとかで、通いのメイドまでいるってんだから。びっくりしちゃうよ。
お茶をごちそうになったりして、夕方帰る時になったら彼女、「こんなふうに男の人を見送るなんてはじめて」なんて言ったんだ。それを聞いたもんだからさ、一緒に行った奴なんて、本当のお嬢様だよ、逆タマ逆タマなんて喜んでたっけ。

 今日もね、家に遊びに来てるのはいいんだけどメイドが休みらしくてさ。お茶の支度してくるなんて行ったっきりなかなか帰ってこないんだよね。
ヒマだったからきょろきょろ部屋の中見まわしてたら気がついちゃった。ベッドの下からはみ出してる、これって男物の靴下じゃない? それによく見るとソファの上には絶対に彼女のものじゃないって判る、金茶けた短い髪の毛も散らばってるしさ。
なぁんだ。美那子、彼氏いないなんて言ってたけどちゃんといるんじゃん。あいつの失恋、決まりだなぁ。どんな男なんだろ。写真とかないのかな。
悪いとは思ったけど勝手にクロゼットを開けちゃった。
でもその瞬間、私、その場にへたり込むしかなかった。
そうだよ。あの子が男を見送れるはずなんてなかったんだ。……だってこいつら、家に帰れなかったんだもん。

2003.4.12. 水無月朋子



映画工房カルフのように 【http://www.karufu.org/】
All rights reserved ©2001.5.5 Shuichi Orikawa
as_karufu@hotmail.com

ホーム映画にまつわるものがたり『ま〜も』
>『マイ・フェア・レディー』