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『メイド・イン・マンハッタン』


 「メイド・イン・マンハッタンにしようよ」
立花にそう薦めたのが間違いだったと、翔子は今になって思っている。
その時立花は、Made in Manhattan?と流暢な発音でくり返してから言ったのだ。「それってニューヨークのインディーズか何か?ソーホーあたりにはそういう作品も多いからね」

 それまで立花とはそこそこうまくやって来たつもりだった。立花には家庭があったけれど、翔子だって結婚を焦る年齢でもなかったし、何しろ立花は営業所の中でも1、2を争うエリートなのだ。
翔子が新卒で今の会社に入ったとき、新人の営業研修を担当したのが立花だった。その頃から立花の人気は高く、今でも給湯室でその名を囁かれない日はない。
  ルックスがよくて仕事ができるのはあたりまえ。英語は堪能、上司からの信頼も厚く、面倒見がよくて優しいというオプションまで付いたら悪い評判など立ちようがない。事実、立花は海外出張に出ると、女子社員には忘れずにお土産を買ってきてくれる。
「結婚さえしてなかったら、絶対に彼氏にしたいタイプだよね」というのが女子社員の合言葉になっていた。けれど、立花の家のことについては誰も知らなかった。
「きっと立花さんの奥さんて、物分りのいいしっかりした人なんだよ。そもそもあんな旦那様だったら文句のつけようがないけどね」
家庭でのことを一切口に出さない立花の、そんな生活感のなさも人気の秘密のようだった。

 そんな立花と付き合い始めてそろそろ2年が経つ。もちろん表ざたにできない関係ではあったけれど、翔子といる時でも、立花はその姿勢を崩さなかった。
仕事優先で、人付き合いもそつなくこなす。翔子が「おうちは大丈夫なの?」と訊ねても「家のことはちゃんとやってるよ。ところでさ…」とさらりと話題を変える。家での愚痴など言ったことはなかったし、奥さんの目を気にして慌てて帰るなどということもなかった。そういった意味で、立花は翔子にとって非の打ち所のない「彼氏」だった。
そしてそんな会話の中で、たまには映画を観に行こうということになったのだ。

「ジェニファ・ロペス?ああ…彼女、30過ぎても露出で売ってるって、けっこう業界でも評判悪いみたいだね」
それまでの翔子なら、そんなもんかなと深く考えもせずに受け流していた。立花は自分より年上で、仕事のことも海外のことも…言ってみればたくさんのことを知っていると思っていたから、彼の言うことなら間違いはないと信じていたから。
けれども、自称遊び上手を気取っている立花が、その映画を知らなかったばかりか、それをごまかすように聞きかじりの知識をほのめかしたのだ。なんとなく嫌だな、と思った。
その時から、翔子の立花を見る目が変わってしまったのだ。

もしかしたら家に帰りたくないんじゃないかな、とふと思った。
なぜそう思ったのかは判らない。けれど、立花の家庭はもうとっくに破綻していて、家に帰りたくないから仕事優先にする。長期の海外出張も嫌な顔をせず引き受ける。そして翔子とも時間を気にせず、何時まででも一緒にいる…。

そう考えるとすべてのつじつまが合うような気がしたのだ。
「それってちょっと違うんじゃないかなぁ」
そんなことを考えていた時に、同僚の社員から声をかけられた。何度か食事に誘われていて、立花の手前もあってずっと断り続けていた相手だった。 「翔子ちゃんさ、今度の日曜何やってんの?暇だったら映画でも…」
言いかけた相手にふと訊ねてみた。
「メイド・イン・マンハッタン?」
「あ、知ってる!ジェニファのやつだろ?いい女だよなぁ…。だったら翔子ちゃんさ、その映画観に行って、その後、ご飯食べに行かない?…っつっても俺の給料じゃ居酒屋が精一杯だけど」
どう考えても出世コースから外れているとしか思えないその人は、よれよれのスーツの襟元を少しばかり気しながら照れくさそうに笑った。
『正直だなぁ…』
そんな彼の様子が微笑ましくて、翔子は笑いながら言い返していた。
「じゃあせめて、映画は指定席にしてくれる?」

2004.2.6. 水無月朋子



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