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『猫の恩返し』


店内を走り回っていた一人娘の綾香が、ビデオテープを手に戻って来た。
「これ借りて、これ」
 綾香ももう5歳。アニメのコーナーをうろうろしながら「猫のマンガはどれですか?」とでも愛嬌を振りまいたのだろう。パッケージには『猫の恩返し』とあった。
猫が欲しいとしきりとねだっていた綾香らしいと、知香子は苦笑いするしかなかった。
千香子にしてみても猫が嫌いなわけではない。アレルギーを持っているわけでもないし、夫の康彦だってそう反対はしないだろう。 けれど、千香子が首を縦に振れないのは、どうしても思い出してしまうことがあるからなのだ。

千香子が小学校に入ったばかりの頃、千香子の家に迷い込んできた猫がいた。タキシードを着たような黒と白のその猫は、野良のはずなのにどこか愛想が良く、その愛想のよさが気に入られて、そのまま家に住み着いた。
やがてロビンという名をつけられた雄猫は、驚くほど手のかからない猫だった。たいがい猫というものは手のかからないものだけれど、ロビンが居つくことに眉をひそめた母親も感心するくらい行儀が良かったのだ。
家の柱に傷をつけるわけでもなく、ゴミ箱を荒らすような真似もしない。昼間はひねもす居眠りをしているかと思えば、夕方になってお腹が空く頃になると、足元に寄って来てにゃあと一声鳴く。
夕飯の残りだろうが、キャットフードだろうが、お皿に盛られたものをおとなしく食べると、適当に愛想を振りまいて行ってしまう。
一人っ子だった千香子は、そんなロビンを兄弟のように感じて、両親に言えないことや、悲しいことがあるとそっとロビンに相談したりした。ロビンは何も答えてはくれなかったけれど、大きな瞳でじっと見つめられると、悲しい気持ちもどこかに行ってしまうような気がしていた。

そんなある日、自称・霊感が強いという親戚のおばさんが遊びに来た時にロビンを見て言った。
「千香子とこの猫、前世では隣同士だったみたいだね」
 千香子の前世とロビンの前世は互いに女の子で、戦時中、隣同士に住んでいたのだという。食べるものがない時など、千香子はその子におやつを分けていたらしい。けれどその子は空襲に遭って死んでしまった。だからその時のお返しをしにやって来たのだと、おばさんはしきりと頷いていた。
「だからね、千香子が受ける災難を、この子が身代わりになってくれてるんだって」
 嘘か本当か判らないような話に、当時小学校6年生になっていた千香子と、千香子の母親は苦笑いするしかなかった。

ロビンは時に体にケガをして帰ってくることがあった。切り傷やひっかき傷の時もあったし、毛がごっそり抜けていることもあった。けれどロビンはそのたびに舐めて治した。その様子を見ながら、千香子は「やっぱり身代わりになってくれているのかなぁ…」と思うこともあった。
その一方で、千香子は大きなケガをすることも、大病をすることもなく中学に上がり、やがて男の子に恋をした。
15歳。卒業まで三ヶ月足らずの冬。彼は付属の私立校へ、千香子は地元の女子高へ進学することが決まっていた。
告白しようか、このままずっと友達でいようか迷い続けていた千香子は、卒業式がすぐそこまで迫っていたある夜、不思議な夢を見た。
夢の中では、ロビンがチカちゃん、チカちゃんと自分を呼んでいた。
千香子が起き上がると、ロビンは千香子を見上げて言ったのだ。
「あの男の子のこと、悩んでるんでしょう?」
 千香子が頷くと、ロビンはいつもと同じ優しい眼をして言った。
「好きな人には好きって言わなきゃ。ちゃんと言葉にしないと気持ちは伝わらないよ」
「だってロビン…」
「だいじょうぶ。きっとうまく行くよ」
 そしてロビンは、ふと悲しそうな顔になって続けた。
「でもね、これからはちゃんと自分で決めてがんばるんだよ?今までみたいなケガや病気は引き受けられても、心の傷は助けてあげられないんだ。だから、ぼくの役目はもう終わり」
 そしてロビンはいつもと同じように一声にゃあ、と泣くとどこかへ行ってしまった。
翌朝、庭を探してもロビンの姿は見当たらず、千香子は、不思議に思いながらも卒業式の日に告白をして、第二ボタンをもらった。
そしてその日、千香子が学校から帰ってみると、ロビンは庭の植え込みの陰で冷たくなっていた。

今はもう、遠い思い出だけれど、あれはいったい何だったんだろうと思う。
そしてそれ以来、ロビンのことを思い出してしまうからと千香子は猫を飼うのをためらっていたのだ。
「綾香がもう少し大きくなったら、きっとまた、ロビンみたいな猫が綾香のために来てくれるよ」
 千香子はきょとんとしている綾香のためにそのビデオを借りてやり、小さな手を引いて店を出た。
するとその時、どこかから猫の鳴き声が聞こえた気がした。


2004.7.1. 水無月朋子
猫モデル…ハンセン&トラ

 


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