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『WASABI』

「ハッカーを探してるんだよ」
その男に話しかけられたのは、食堂の入り口だった。
男は30歳くらいか。縦も横も大柄で、黒の革ジャンを羽織り、どろぼうひげでおまけに頭は坊主だった。
俺は自然と身構えた。

俺は一人でその国を旅していた。バスでとある街に到着する。たいてい、バス停の前には安宿があった。
たまに満室で途方に暮れることもあるが、その時はその時だ。別の宿が見つかるまで探し続けることもあるし、疲れていればそのまま近くの公園で寝る準備はできている。着替えも寝袋もすべて背中のバックパックに入っている。衣食住すべてを身につけて旅をする。こんな気ままな生き方はない。
その日も、同じような格好をした連中と一緒にバスを降りそのままある安宿に入った。
受付で部屋はあるか、と聞くとすぐにキーを渡された。

たいてい部屋に入ると何人かがこっちを向く。同室の連中だ。自分のベッドまで行き、荷物を降ろしながらすぐ横のやつに「ハイ」と言う。友達ができる瞬間だ。
しかしその日、俺の横にいたのは日本人の3人組だった。
俺にはルールがある。シンプルなルールだ。相手が一人なら話しかけ、グループなら無視する。
そいつらはグループで、しかも日本人だった。話している内容ですぐにそいつらのレベルが分かる。
俺は部屋を後にした。

まだ日が高ければ受付で地図をもらって出かけるが、その時はもう夕方だった。バックパックに米とパンとチーズが入っている。スーパーで野菜でも買ってくれば何かすぐ作れる。
俺は食堂に向かった。

「お前、日本人か?」
振り向くと、プロレスラーのような男が俺を見下ろしていた。俺は目をそらさずにうなづいた。
「お前、コンピュータ使えるか?」
男は俺が答える前に、冒頭の言葉をしゃべったのだ。
「ハッカー…?」
「この市の市役所のコンピュータに侵入して、住民に関する情報を得たい。」
「……」
「妻と娘を探してるんだ。」
俺たちは立ったまま話を続けた。


 上野で『WASABI』という映画を見た。なぜ見たいと思ったのかは覚えていない。
つきあっていた女の子ととにかく何でもいいから映画を見たかったのかもしれない。
ジャン・レノは日本人の恋人が忘れられない刑事で、広末涼子はその娘。
彼は20年近くもその恋人のことが忘れられなくて、娘の存在も知らなかった。
そんな男が初めて娘と対面する。
あの男は娘と出会えたのだろうか、と思った。
俺の頭の中でジャン・レノと、数年前海外で出会った男が重なったのだ。
俺にハッキングをしてほしかったその男は、ジャン・レノと同じく大柄で無精髭を生やしていた。

あの時男が話してくれた内容は、あまりにも俺の人生とかけ離れていてまるで小説のようだった。
男はある女と結婚し、まもなく暴力を振るい始める。
女は幼い娘を連れて住んでいた家を出、男は女を追う。
見つけられた女はまた暴力を受け、さらなる逃亡、追跡…。
男は女を見つけるためにあらゆる手段を講じる。
友人知人、親戚、探偵、新聞の尋ね人。女が興味のありそうな場所を片っ端から洗っていった…
そしてついに、どうやらこの街にいるらしいという情報をつかむ。
女は娘を連れている。別れた当時娘はまだ幼かったが、今では小学生のはずだ。この街の小学校をひとつひとつあたり、校門で待ち伏せすればいつかは見つけられる。しかし男がずっと校門で小学生を見ていたら怪しまれてしまう。
警察には頼めない、と男は言った。警察に言うと俺は捕まってしまうから。
そこで男は思い付いた。市役所のコンピュータには全住民の住所のデータが入っているだろう。
ハッキングのできるやつに頼んで見つけてもらおう…。


 映画館を出るとまだ日は高く思わずまぶしさに目を細めた。
目の前のこの女の子ともし結婚でもして娘ができたら…
もしこの女の子と別れた後に子供がいると知らされたら…やっぱり会いたいと思うんだろう。
ジャン・レノ扮する刑事も、突如現れた娘に困惑しつつそれでも不器用な愛情を注いでいく。
広末涼子扮する少女も、最初は父親を拒むがやがて心を許していく。

あの男が奥さんにどんなひどいことをしたのかは知らない。
でも娘には、もし娘に会えたのならその娘には、
やさしいいい親父であってほしいと思った。

2004.1.23. 工房の主人



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