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突然『キンダガートンコップ』 (5)

挑戦者:工房の主人


真夜中の事件

 居候しているおばさんの家で、俺たちはよく自炊し、そして夜中まで酒を飲んだ。
夕食が済むと、それぞれ三々五々シャワーを浴びたり歯を磨いたりして寝る準備に入る。
男と女は別の部屋が与えられており、みんな寝袋を持参していた。

ある晩。
誰もが寝静まっている真夜中、ふと暗闇で俺は目を覚ました。
酒盛りのせいか、おしっこに行きたくなったのだ。
トイレは、男部屋と女部屋の間にある。
俺は足を忍ばせてトイレに入った。何度もやっていること。特に何と言うこともない。
俺は電気を付け、まぶしさにしばらく目をつむった。

用を足した。
このトイレ、いつも流すとゴオオーーー!とすごい音がする。
夜中だろうがなんだろうがおかまいなしだ。
俺は流すバーを押し、首をすくめた。

・・・・・・

シーンとしている。
ああよかった。今日は静かだ…
って、違う!
み、水が流れない!


俺はうろたえた。
便器には、アルコール濃度の濃い水分がたっぷり残ったまま。
誰かに相談できる話ではない。
勘弁してくれよ…
何度かバーを押してみるがうんともすんとも言わない。
こうなってみると、いつものゴオオーーーー!という音が懐かしくてたまらない。

便器は…上の方に設置してある陶器の容器につながっている。日本でも家庭にあるやつだ。
仕方ない。いじってみるか…
俺は便器に上り、手を伸ばして容器のふたを開けて中をまさぐった。
汚いとかそんなことを言っている場合ではない。そもそも、水を流すための水が入っている場所。そんなに汚いわけではないだろう。
なんだか変な器具が手に触れる。棒みたいなものや丸い玉みたいなものもあるようだ。
電動式などではなく、何やら水位を利用したシンプルな仕組みのようだ。
俺は伸びをして右手でまさぐり、容器の中の仕組みを頭の中で組み立てていく。

動くものをひとつずつ動かしてみる。すると、ボールが上に動いた!
同時に
ゴオオーーーーーー!!!と水が流れ出した!
やった!
しかし今度は水が止まらない。便器の中の俺のアルコール濃度の濃い水がどんどん水位をあげていく。
俺はなすすべもなくそれを見つめた。
ついに堤防は堰をきり、荒れ狂った水の固まりは辺りの農村を飲み込んでいく。

こうなってみると、先ほどの静寂が懐かしくてたまらない。

俺は慌ててまた先ほどのボールをいじる。やがて、どこかにスポッとボールがはまり、水は止まった。
どうやらその容器の中のクランク部分がうまく動作していなかったようなのだ。
俺は水没した村々を救うため、トイレットペーパーを使った。
そこへ、メンバー3人が起きてやってきた。

「どうしたの?」
「あ、いや、起こしちゃった?あはは…」
「水浸しじゃん」
「何か水が止まらなくなっちゃってね、でもちゃんと直したよ。もう大丈夫!」
「手伝おうか…?」
「あ、いやいや!ここは俺がやっちゃったミスだから、自分で片付けるよ…」
 俺は慌てて付け加えた。

「いやーしかし、ちゃんと自分のを流した後でよかったよ!うん。」

そうやってこの夜、俺は水洗便所の仕組みをマスターした。


廃虚のまち

女優さんに連れられ、俺たちはサラエボのいろいろな場所を案内してもらっていた。
サラエボオリンピックの跡地、もっとも銃撃戦がひどかった市街地、近隣の街まで足をのばし、川の向こう側とこっち側で住んでいる民族が違うと言う理由で破壊された橋なども見た。

もう明後日にはサラエボを発つ、というこの日、女優さんが『見学』の最後に連れていってくれたのは、有名な建物でもつめ痕が激しかった場所でもなかった。
そこは、人々が普通に暮らしていた住宅地。

すでに荒れ地になり、背丈以上の草が生い茂るところどころに、「元」住宅地が点在していた。
窓ガラスは割れ、壁には無数の銃痕が残り、ドアははずれている。
洗面器のようなものが転がり、食器が割れ、布がちぎれている。
「まだ地雷が埋まっているかもしれないから、あまりあちこち行かないで下さいね。」
 女優さんが静かに言った。
最初はパチパチと写真を撮っていたものの、俺はやがてレンズにキャップをしてカバンにしまってしまった。
足下には、花束を添えられた手作りの石碑のようなものがあった。

炎天下の中、みなでぞろぞろと歩いて帰りながら、俺はぼーっと考えていた。
真っ昼間に、乾いたパン、パン、という音が響く。
タタタタタという銃撃音。
つんざく悲鳴が聞こえ、人があっけなく倒れ、地面から砂煙がほわりと上がる…。

気付くと女優さんが隣を歩いていた。
「どうだった?」
「…うーん…なんだかここに来たことをちょっと後悔してます。」
「どうして?」
「ここで戦争があって…いっぱい人が死んで…それを俺は見に来て、うれしげに見学になんかやってきて…自分が、なんか、くそみたいな存在に思えてきて…」
「そうかな…」
 女優さんは俺を覗き込むようにして話した。
「ここで見たこと、感じたことを、子供達に伝えてほしいな。」
「小学校の先生が言ってました。この国の人は、宗教とか民族が違うだけで、見た目も同じ、言葉も同じひと同士で殺し合いをしてきた…子供達も家族を殺されたりして…」

 下を向いて折り紙をいじっていた女の子の顔が、大騒ぎをしていた男の子の顔が、頭に浮かんできた。
あの子達もひょっとして…
ほっぺたを熱いものが流れてきて、俺は慌てて女優さんから顔をそむけた。
女優さんも気付いたに違いない。黙っててくれた。

(これは汗じゃ、暑いけん汗が止まらんのじゃ…)

俺は心の中でぶつぶつ言いつつ、涙をたらたら流して乾いた道を歩き続けた。


最後の授業

小学校に向かう道々、4人とも黙っていた。
明日、この国を出る。この小学校に来るのも、これで最後。


子供達とあそぶメンバー

校門を入ると、子供達がいた。
興味はあるけど遠巻きに見る子、まったく見向きもせずに通り過ぎていく子…いろいろいたが、何人かが集まってきた。
大阪さんと横浜さんが女の子達と手をとって遊び始めた。俺と埼玉君はそれをながめる。
こんな時、結局俺は何にもできないんだよな…
苦笑いが込み上げる。

この日の授業でやることは、前の晩に決めてあった。
子供達一人一人の名前を、日本語のカタカナで大きく紙に書いてあげる。それを、色とりどりの色紙をちぎった破片で飾り付けていくのだ。横浜さんのアイディアだった。
俺たちは4人で夜遅くまで、大量の折り紙を小さく小さくちぎって用意していた。

子供達が作業を始めると同時にみんな騒ぎ始め、先生は「黙りなさい」と一喝した。俺は、話してもいいんじゃないか、と先生に言った。「日本だと授業中も雑談をするんですか?」先生の目が厳しい。
そんなことはありません、と俺は前置きして言った。
「でも、この授業は、友だちとわいわいやりながら作業してもらいたいんです」


見本として作った自分の名前

単純な作業は、大成功だった。
4人で手分けして子供達ひとりひとりに名前を聞いていく。
これが難しい。くり返して確認するのに、俺たちがどうしても発音できないのだ。
それがおかしいらしく俺たちが間違える度に、子供達はキャッキャと喜んだ。

授業はあっという間に終わった。
チャイムが鳴った時、俺は放心状態になった。
終わった。
先生が、「みなさんとお別れです」と言った。そして…

気付いたら、俺たちは子供達に囲まれていた。
お別れのサイン攻めにあっていたのだ。
子供達は必死になって、押し合いへし合い俺たちにノートを突き出す。

なんだこりゃ…3年B組金八先生かよ…

心の中で苦笑いし、でも、今にも泣き出しそうだった。
一人一人に名前を書いていく。
俺は他の3人を見た。大坂さんも、埼玉君も、横浜さんも、子ども達にもみくちゃにされながら、泣きながら、笑いながら、必死に手を動かしていた。
俺はすぐそばの子ども達に向き直った。ひとりひとりの顔を見て、にっこり笑って、名前を書いて、ノートを返してやる。

先生の言葉が頭を駆け巡る。

いいかお前ら、なくすなよ!
大人になってもこのノートとっとけよ!
このサイン見る度に俺らを思い出せよ!

目の色も、
髪の色も、
肌の色も違う、
言葉だってちっとも通じない奴らと一緒に笑ってたんだぞ、お前ら!

おし、もっともっとノート出せ!出せ!!子どもの世話ってのは、次の時代への種まきなんだ…
手がしびれそうになりながら、でも手はちっともペンを離さなかった。


先生との約束

俺が帰国したのは、9月末。
日本はまだまだ暑かった。

サラエボでの最後の授業の後、俺たちは先生に呼ばれた。
先生は俺たちにお礼と、そして授業の意義について語り、最後に「実はお願いがあります」と言った。

「この国はまだまだ援助を必要としています。ひとつ目のお願いは、どこか、資金的な面でのお力になってもらえる組織などがいたら紹介してほしいんです。ふたつ目は、」
先生は言葉をついだ。
「子供達にもっともっと外国のことを知ってほしい。外に目を向けてほしい。だからここの子供達と文通してくれる小学校を紹介してほしいんです。」

実家に戻り、急速に旅行気分が消えていく中で、俺はぼんやり先生の言葉を思い出していた。
資金援助。
これはとうてい、自分がからんでいける話ではない。それは先生にも直接伝えた。
問題はもう一つの方。
サラエボの小学生と文通できる小学校を探すこと。

何かにとりつかれたように、俺はふら、と家を出た。
家のすぐ近くに、俺の通っていた小学校があった。

(続く)


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