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突然『キンダガートンコップ』 (3)

挑戦者:工房の主人


サラエボの街の中心部
使い物にならなくなっているビルも多いが、比較的無傷の一階部分をオフィスにしたりして再興は始まっていた。

居候先

俺たち4人は、本部から近いアパートに住む老婆の家に居候していた。
といっても、「おはよう」くらいしか会話はかわせない。
一応現地の『ボスニア・クロアチア語』のテープ教材は前もって渡されていたが、そんなものでベラベラになるのなら苦労はない。
えー、教材の制作会社に悪いので、言い換えておく。

そういう教材を渡されたくらいでしっかり勉強するわけがない。

しかも、本部の人たちは現地の人とどうやってコミュニケートしてるかと言うと、
英語、
なのである。
なーんだ。
俺は教材を放り投げた。

俺たち4人は、初日の活動を終えて部屋に戻るとあれやこれや話し始めた。
(4人のことを、出身地別にこれから埼玉くん、大阪さん、横浜さんと書く)
大阪さん、横浜さんの女性陣は、「本部の誰々がかっこいい」など、非常にのんきな会話をしている。
俺は埼玉君に話しかけたが、特に感情は出て来なかった。
彼は生まれて初めての海外だと言う。
いきなりこんなとこに来るなんて…と皆でにが笑いした。


戦争のつめあと

次の日、本部から『俺たち4人の世話係』として当てられている女性と一緒にあちこちを観光して回ることになった。
この女性、歳は20中ばくらいだろうか。非常に美人で、ある有名な女優に似ていた。
この女優さんには、俺が病気で倒れていた数日間、ずっと看病をしてもらってたのですっかり俺は頭が上がらない。



まず女優さんが連れていってくれたのは、街の郊外にある墓場だった。
延々と続く白い墓標のひとつをついとのぞいてみる。
没年は、1、2年前だった。
神経がすっと、締め付けられる。



街の繁華街にも足を伸ばした。
ここだけ見ると、すごく平和な落ちついた街である。
独特の形をした、宗教的な建物があちこちにある。
宗教も戦争の大きな理由になっている。そんなことがどうしても信じられなかった。

「私のお気に入りの公園があるんだ」と、その日の午後、女優さんは言った。
「見たから特に何があるってわけではないんだけど、サラエボは瓦礫になったビルばっかりじゃなくて、こんなきれいな場所もあるんだってことを見てほしくて…。いいかな?」
俺たちはもちろん、とうなづいた。



公園は、町はずれに延々と続いていた。
俺たちは途中から馬車に乗り、揺られながら進んでいく。
大阪さんや横浜さんは嬌声を上げ景色に喜ち、女優さんはそれを見て微笑んだ。
俺は…
黙って、景色を眺めていた。
昼間見た墓の光景が、何かのイベントのような気さえしていた。

ここ、バルカン半島は、世界の火薬庫と呼ばれている。
第一次世界大戦も、この街サラエボでどこぞの皇太子が撃たれたことに端を発している。
…そんな聞きかじった知識も、相変わらず現実感をともなわないまま頭をよぎっていく。



ふと脇を見ると、黄色いテープが両側に張り巡らされている。
『地雷注意』の文字。
前方に見える野原も、山々も、地雷がびっしりと埋められていると言う。
少しずつ撤去されているが、地雷で手足を失う人は後を絶たない。
そう言えば街の中でも松葉づえの人がなんと多いか。
その黄色のテープの内側に、子犬が入っていった。
俺は思わず目をつぶった。

もし、
もし目の前で子犬が地雷を踏み、吹っ飛ばされたら…
そんなことが目の前で起こったら、自分はいったいどうなってしまうのか、どう反応するのか、まったく想像もつかなかった。

そして幼稚園

次の日、俺たちは車に乗せられていた。
幼稚園に見学に行くのだと言う。
例によって俺はあまり深く考えず、何をするかよく分からずにのんきに景色を眺めていた。
「わー、子供ってかわいそー!」
大阪さんがうれしそうに騒いでいる。
「世話は任せるよ。俺、子供苦手だから。」
俺は前の晩からメンバーに言っておいた。
あんまりはっきり言い過ぎて、「じゃあ何のために来たのよー」と怒られもしたので、それ以降は言わないようにしたが…

殺風景な住宅地の中をくねくね進んでいくと、やがて止まった先に、かわいらしく装飾された建物があった。
幼稚園だと、言われなくても分かる。
ドアを開けると、そこはおとぎの国だった。俺はあまりに場違いな雰囲気に、思わず思考が停止してしまった。
子供達の、興味とおびえの混じった
視線を全身に浴びながら、俺たちは幼稚園の先生に従って教室の中を見て廻る。
女優さんが先生のボスニア語を通訳してくれる。
俺は面倒なことに巻き込まれたくないので、列の一番最後を歩いた。

「これ、子供達が描いた絵なんだって」
列の前の方から、伝言ゲームのように説明が伝わってくる。
俺はぼーっと眺めた。
絵は確かに子供の描いたタッチだった。しかしそこに描かれているのは、足がもげた人間や、戦車や銃器だった。
絵はモノクロなのに、爆発する部分や血だけ、赤く鮮やかに色がつけられていた。

ふと気付くと、俺のすぐ側を大きな目をした男の子がついてきていた。
俺はポケットをまさぐるとコインを取り出して、男の子に見せる。
男の子の目がコインに吸い寄せられると同時に、俺はそれを左手につかみ、右手に持ち替えて子供の目の前で右手を開く。
コインは右手にはなく、左手にあるまま、という簡単なマジックを見せたのだ。
子供はキョトンとして、そしてやがてニマーっと顔全体で笑った。

先生が俺に気付いた。
机の上には画用紙やペンなどが散乱している。
俺は画用紙を一枚もらってもいいか、と訊ねた。もちろん、という返事をもらい、ささっと舟を折る。
日本人なら誰でもやったことのある、舟の帆をつかんでもらい、折り変えるとそれは舟の船先である、というアレである。

興味津々の子供が一人、言われるがままに帆をつかみ、騙されたのを知って何か叫んでいる。
俺は舟を何個も折ってやり、埼玉君や横浜さんらに渡す。
みんなあちこちで騒ぎ始めた。
俺は戸惑っていた。
なんだか、全体の雰囲気があったかくなってきたのだ。
なんだなんだ…
俺は女優さんに、「実はハーモニカを持ってきてるんですが…」と話しかけた。
女優さんは、わー、やって下さい!とニッコリした。


ガキの世話をするのが嫌だったので、小道具でごまかす作戦だったのだ。

俺は楽譜を取り出した。
ガキが嫌い嫌いと大騒ぎしていたのに、ものすごい準備のよさにメンバーは苦笑いを隠せない。
でもその笑いは、心地よかった。幼稚園児たちの目に、もうおびえは見えなかった。
この人たちは、何か変わったことをあれこれしてくれるぞ!
興味津々で俺たちを見つめている。
大阪さんと横浜さんに、”大きな栗の木の下で”を歌えるか?と聞くと、うん、と答えてくれた。
いける!
俺はハーモニカで曲を演奏した。
横浜さん達は2人でポーズをとって歌いながら踊った。
子供達はおおはしゃぎだった。

その後も、別の曲を演奏して他のメンバーに歌ってもらったり、紙に大きく絵を描いて、それを上下逆にすると全然別の絵になるものだったり、紙を切って人の顔を作ったり、と自分の得意な小ネタをくり出し、終了時間となった。
俺たちは子供に囲まれた。
みんなで何枚も写真を撮る。
帰り際、小さな女の子が俺の服をにぎった。
俺は他のメンバーに背を向け、その子に向かって思いっきり笑顔を見せてあげた。

「なんだー、一番やる気になってんじゃん!」
帰りの車の中でメンバーが俺を笑った。
「いんだよ!」
俺はサングラスをかけて外を向いた。
恥ずかしかったが、なんだか、ほわんと暖かかった。

次の日、本部からの帰り道、大阪さんが話しかけてきた。
「近くの小学校で授業をしてみないかって言われたんだけど…」
俺は大阪さんを見た。

「やろう」


(続く)


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