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vol.5 La Passion Du Christ〜キリストの受難」
〜”争いを無くす方法”

ven 21 juil 2004

 つい先日、夫が「これが観たい」というのでキリスト受難劇の映画を観に行きました。たまたまだけど、この映画を観た日が「御受難の日」で、パリ市内のあちこちで青々とした小枝を持った人を見かけた。
 映画館にはいろんな年齢層の、いろんな人たちが来ていた。オリジナルヴァージョンの公開は「ラテン語映画にフランス語字幕」という状態だったので、字幕の仏語がいつもよりも太い字で読みやすいように表示されていた。(これはお年寄りへの配慮か?)だから、わたしにもとても読みやすく、字幕とはいえ半分近くは理解できた。(というか、半分以下しかわからなかった…泣)
 今回、吹き替えよりもオリジナルのほうがいいと思ったのは、ラテン語の音を聞いてみたかったからです。いまや、ラテン語を聞く機会なんて滅多に無いからね。で、そのラテン語の音の感想ですが、なんだかイタリア語のような、ドイツ語のような、英語のような、混沌とした感じの響きでした。そういうワケだかどうだか知りませんが、最後に役者さんの名前がテロップで出てくる時、イタリア系の名前がやたら多かったような気がしました。(ラテン語は、フランス語には似てませんでした。)


『キリストの受難』を観た時のフランスの映画のチケットです。

 実は、題名すら知らずに「キリストの映画」ってことだけ頭に入れて映画館に行ったわたし。だからいきなりユダの裏切りから始まるのでビックリしました。わたしはキリスト教の生み出した絵画や教会の形式などがちょっとばかし好きで、ミニマムなキリスト教の知識はあるつもりなので、たとえ言葉がわからなくても話の内容は理解できました。というか、わたしの知識そのまんまの内容だったので、かなり忠実に聖書の内容を再現してるんだな〜という印象を受けました。
 聖書などをちらほら読んでみると、どうも書き方がカタくて、実際どのような状況だったのかということがスッと体に入っては来ません。イメージが湧かないというか。(それは「書き言葉」だからなのかもしれません。)だからこそ、教会には壁画や絵画でキリストの生涯、特に受難の場面を描いたものが多く、その痛みを見てとれるようにしてあるんだと思います。で、今回の映画は、そんな受難の場面をこれでもか!というくらいに具現化してありました…。(ということで、12歳以下禁止でした。)

 ユダの裏切りから始まってキリストが十字架にかけられて亡くなるところまでのお話でしたが、キリストの生涯を描いた映画であれば20分ほどで終ってしまいそうな部分、たったそれだけの場面だけを抜き出して一本の映画を作った、そういうところにこの映画の大事な意味があると思う。今、こうしてキリストの受難劇を語らなければならないという理由があるのではないかと。

  映画の中では、これでもか!ってくらいにキリストが鞭打たれていた。というか、最初は普通の鞭で打たれていたんだけど、あまりにキリストが辛抱強いので、鞭から他の拷問道具に切り替えられた。それはヒモ状で、先に鉄のツメのようなものがついていて、肉をもえぐるような残酷な道具だった…。もう簡便してあげてよ、お願いだから…誰しもがそう思うような、そんな残酷なシーンが長く続いた。そしてそんなイエスを、涙をうかべながらそっと見守る母マリア。「神の子の母」ってことは関係無しに、同じ女性として、わたしは母マリアに同調していった。「神の子」なのだからこの受難は仕方が無いのかもしれない。しかし、それを受け入れなければならない母の心境…。息子を目の前で拷問され、助けることもできないだなんて…。
 「あいつはキチガイだ!」とさんざん罵られていたイエス。キチガイだと思うのであれば、牢屋へ入れるなり追放なり、他に方法はあったはず。そして、ただ単に殺すだけではなく、殺すまでの過程がこれほどまでに残酷とは…。
  でも、考えてみてください。実はこれと同じことが、いまだに世界のあちこちで起きているってことを。

 日本は世界で唯一の被爆国と言われています。アメリカは原子爆弾を落として無差別に市民を殺しました。でも、それ以前には日本の軍隊が大陸に渡って殺戮を繰り返していました。歴史をさかのぼっても、そして今現在でも、人が人を殺すという行為は終ることがないのです。キリストは、そんなわたしたち「人間」の背負っている「罪をあがなうため」になくなられたのだというのが聖書のお話。(だったと思う…。)
  この映画でキリストが受けている拷問こそ、わたしたちが持っている罪の象徴。そして十字架に架けられたキリストが、「神よ、彼らをお許しください。彼らは自分のしていることが何なのかを知らないのですから。」と自分を十字架に架けた相手のために祈った。その行為、許しの行為が、実はこの世から争いを無くす唯一の方法なのではないでしょうか。

 わたしはキリスト教徒でもナンでも無いですから宗教の宣伝をするワケじゃありませんが、イエスの教えの根本は、この「争いを無くして平穏の中で生きる方法」なのではないかと思うのです。そして、これは仏教でも同じです。
  今、宗教が原因での争いが世界中で起こっています。「次の爆破テロはどこがターゲットか?」なんてことが話題になるだなんて、恐ろしい世の中です。
争いを争いで封じても、それはさらなる争いを生む種子を残すだけです。じゃあどうすれば根本的に解決ができるのか?それは…自分自身がまず変ること、「相手を許すこと」から始まるのではないでしょうか。キリストが身を持ってわたしたちに示したように。
(追記:この映画が、さらなる宗教間闘争の火種にならないことを切に願います…)

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情報
映画の公式サイト(?)↓
http://www.thepassionofthechrist.com/splash.htm


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