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vol.2 「LA RENCONTRE」〜出会いの物語 |
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le 18 mai 2004
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今年の3月、思わぬ出会いがあった。 ジュリーから「わたしが出演した映画が一日だけ上映されるから、都合がつけば来てね」とのメールが届いたので、さっそく行ってみることに。内容はなんとなく聞いてはいたが、知的障害者という、日本では案外身近に触れることができない方たちの一面に触れることができるかもしれないと思い、興味半分、期待半分といった気持ちで映画館に出かけた。 普通、映画の上映の15分くらい前には映画館に行くものだと思うけれど、この日、わたしと夫が到着したのはまさに15分前で、でも館内には若い男の子二人だけしか居なかった。しかも、彼らはどうやら知的障害者のようだった。(つまり、関係者であろう、と容易に推察することができた。)そのうち1人が「僕はこの映画に出演してるんだよ。」と。そしてこの二人の男の子と、上映開始時間の間際までずっと会話をすることになった。 映画が始まった。わたしの知り合いのジュリーが最初にこの障害者学校を訪れた時からの記録を綴ったドキュメンタリー映画である。障害者へ演技を教える際に重要となる点、問題点など、いろんな部分に触れてある。 しかし、知的障害を持つ彼らには、「演じる」ということがまず判らない。他人の感情を表現する、つまり、自分は悲しくないけれど、悲しい気分の人を演ずるために悲しい顔をする。そういうことが彼らにはまず理解ができない。それを理解しやすくするために、このドキュメンタリーの中では「ピエロの赤い鼻」を使っていた。ゴム紐で顔に装着できる丸い赤い鼻。これを身に着けている間は「演技者」ということなのです。こうして、単純かつ判りやすい状況を作り出すことによって、「演技」とは何なのかを教える。映画の中では「この赤い鼻は、一番小さな“仮面”なのです。」と言っていた。 映画は、単に障害者の成長の記録ではなかった。わたしの知り合いのジュリーには、暇な時に髪の毛をいじるクセがある。そして、イライラした時には髪の毛を抜く。そんなクセが、カメラを通して映画に収められていた。健常者と呼ばれる我々にだって、意味不明な行動がある。そして同時に知的障害者と呼ばれる子たちのの意味不明なイライラした行動が映されていた。この2つの境界線は一体どこにあるのか?そんな問いかけをされたような気がした。 映画の中では、「先生役」として演劇学校の生徒が1対1で知的障害の生徒と組んで演技指導をしていた。ジュリーもそんな「先生」の1人である。生徒はだんだん先生を好きになっていく。恋愛にも似たそれは、度を越した感情とも言える気がしたけれど、「先生のために、成長したい。」そんな感情を抱く生徒たち。そして彼らは成長していった。「感情」の表現ができるようになっていった。
短編劇を演劇学校の舞台で上演したところで、映画は終了。知的障害児の、演劇を通じての心の成長を描いたドキュメンタリー映画だった。映画上映後、先生役を務めた演劇学校の生徒と、その講義の監督者であった代表者、映画の監督、そして実際に映画に出演していた障害児を舞台に迎えての質問会が行われた。館内に居た観客はわずかに30人足らず。質問する人は少なかった。中に、1人の女性が「彼らの演技を見た演劇学校の生徒達が笑っていましたが、あれは身障者だから笑ったのですか?」と鋭い質問を投げかけていた。どうやら彼女は、身障者を持つ母親だったらしい。 難しい問題ではあるけれど、「障害者」と「健常者」という今の現代社会に存在する枠組みを少しずつでも取り払えたら、と思う。一体どうやったら?わたしにはその方法すらわからないけれど。「知ること」が、まずその第一歩ではないかと思う。今回のこのドキュメンタリー映画を、少しでも多くの人に観てもらいたいと思った。「演ずること」を学ぶことによって成長してゆく彼らの姿を少しでも多くの人に観てもらいたいと思った。 映画に出演していた男の子とわたしは映画を観る前に会話をしていたのですが、実際のところ、会話の中で「大きな障害」を感じることはありませんでした。彼の弟が言うには、お兄さんは「演技」を勉強することによって大きく成長し、今では社会に出て働いているんだとか。こういう成長度合いは個人差が大きいとしても、演劇がある種の効果を上げるのかもしれない、ということは十分に考えられると思った。 こういう映画に出ている障害者の方たちは、主に軽度・中度の障害者だろうと思われます。重度の知的障害者となると、もっと深刻な問題なのだろうと思います。重度の知的障害ともなると、成長を望むことができるのかどうかすら、わたしにはわかりません。しかし、そういう世界を知らない「健常者」のいかに多いことか。知らなくても済む。それが健常者の世界ですが、自分が将来的に事故により障害を持つ身となるやもしれません。また、将来生まれてくる自分の子供が障害を持つ子かもしれません。まったくの他人事とは言えないと思うのです。まずは「知ること」が大事なのではないかと、そう思うのです。 ●情報---------------------------------------------- |
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