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vol.2 LA RENCONTRE」〜出会いの物語

le 18 mai 2004

 今年の3月、思わぬ出会いがあった。
あるドキュメンタリー映画を通じての知的障害者との出会い。それはわたしの知り合いの出演がきっかけだった。
 この「LA RENCONTRE」(出会い)と題されたドキュメンタリーの自主映画は、わたしの知り合いの女の子、ジュリーが出演している。彼女は演劇や音楽の方面で仕事をしたくて、演劇学校に通っている。そんな関係で知り合った方から、知的障害者に演劇を教えるボランティアをしてみないか、と話を持ちかけられたらしい。それがもう7年ほど前のこと。

 ジュリーから「わたしが出演した映画が一日だけ上映されるから、都合がつけば来てね」とのメールが届いたので、さっそく行ってみることに。内容はなんとなく聞いてはいたが、知的障害者という、日本では案外身近に触れることができない方たちの一面に触れることができるかもしれないと思い、興味半分、期待半分といった気持ちで映画館に出かけた。

  普通、映画の上映の15分くらい前には映画館に行くものだと思うけれど、この日、わたしと夫が到着したのはまさに15分前で、でも館内には若い男の子二人だけしか居なかった。しかも、彼らはどうやら知的障害者のようだった。(つまり、関係者であろう、と容易に推察することができた。)そのうち1人が「僕はこの映画に出演してるんだよ。」と。そしてこの二人の男の子と、上映開始時間の間際までずっと会話をすることになった。
フランス語なのでなんとも会話がままならないが、しかし、逆に言えば案外文法的には簡単な会話だったので、わたしのボキャブラリーの貧困さを除けば楽しい会話ができた。「そうなの、役者さんなのね!」と言ってみた。わたしの知り合いのジュリーが先生として教えていた障害者学校の生徒さんだった彼は、ジュリーのことを知っていた。いったい何を話したらいいんだろう?相手が障害者、しかもフランス語で…。
一瞬わずかな沈黙。でも彼らは初対面の相手と会話することには馴れているらしく、ひとなつっこくいろんな話を投げかけてくる。こうなれば、障害者も健常者も無い。わたしのほうこそ、語学的な「障害者」でもある。(フランス語の会話能力が満たないという意味で。)話しているうちに、彼らが兄弟であることがわかった。弟のほうが、障害者学校や病院の話など、いろんな話をしてくれた。病院にはいろんな障害者が来ること、そして、日本人の視察者が来た時の話など。驚いたことに、彼は自分が障害者であることを自ら隠す様子もなくわたしに告げた。抵抗感は全く無い様子だった。障害者学校の校長先生(?)が犬を飼っていると言っていたので、すかさず「で、犬の名前は何?」と聞いてみた。すると「名前は、無いよ」って。犬に名前をつけることくらい教えてあげたらどうなんだ!と思ったけれど、もしかしたら彼が何度覚えてもすぐ忘れてしまうのかもしれない。そんなことは、実は問題ではないのかもしれない。

 映画が始まった。わたしの知り合いのジュリーが最初にこの障害者学校を訪れた時からの記録を綴ったドキュメンタリー映画である。障害者へ演技を教える際に重要となる点、問題点など、いろんな部分に触れてある。
  知的障害を持つ人に実際に触れる機会は稀ですが、本当にそんなことでいいのだろうか、とふと疑問に思う。知的障害を持つ人と接するには並大抵の精神と労力とでは間に合わない。想像以上の精神力と体力が必要。だからこそ、隔離されてしまうのかもしれない。しかし、彼らと接することにより、わたしたちが学ぶことがいろいろとあるのも事実。
  映画の中で、知的障害を持つ「生徒」たちは、見る見るうちに成長していった。最初は「感情」そして「演じる」ということについて全く理解していなかった彼らでしたが、徐々にそれが何であるかを理解していっていた。わたしの目には、相手の感情を理解するという、いわば人間関係を築く上で必要最低限の法則を彼らはこの「演じること」によって身に着けていったのではないかと、そう見えた。「演じること」とはつまり「自分以外の者の感情を表現すること」であり、なかなか高度な技術を要することだと思う。それにはまず、「感情表現とは何か」ということを知っていなければいけない。悲しい時には悲しそうな顔をする、という基本的な表現。悲しそうな顔をしている人は、悲しいという感情を抱いているという基本的な理解力。

しかし、知的障害を持つ彼らには、「演じる」ということがまず判らない。他人の感情を表現する、つまり、自分は悲しくないけれど、悲しい気分の人を演ずるために悲しい顔をする。そういうことが彼らにはまず理解ができない。それを理解しやすくするために、このドキュメンタリーの中では「ピエロの赤い鼻」を使っていた。ゴム紐で顔に装着できる丸い赤い鼻。これを身に着けている間は「演技者」ということなのです。こうして、単純かつ判りやすい状況を作り出すことによって、「演技」とは何なのかを教える。映画の中では「この赤い鼻は、一番小さな“仮面”なのです。」と言っていた。

 映画は、単に障害者の成長の記録ではなかった。わたしの知り合いのジュリーには、暇な時に髪の毛をいじるクセがある。そして、イライラした時には髪の毛を抜く。そんなクセが、カメラを通して映画に収められていた。健常者と呼ばれる我々にだって、意味不明な行動がある。そして同時に知的障害者と呼ばれる子たちのの意味不明なイライラした行動が映されていた。この2つの境界線は一体どこにあるのか?そんな問いかけをされたような気がした。

映画の中では、「先生役」として演劇学校の生徒が1対1で知的障害の生徒と組んで演技指導をしていた。ジュリーもそんな「先生」の1人である。生徒はだんだん先生を好きになっていく。恋愛にも似たそれは、度を越した感情とも言える気がしたけれど、「先生のために、成長したい。」そんな感情を抱く生徒たち。そして彼らは成長していった。「感情」の表現ができるようになっていった。

 映画の最後では、障害者の演じる短編劇を「先生」たちの通っている演劇学校の舞台で上演することになった。演劇学校の生徒を観客として、知的障害のある生徒たちが演技をする。会場には笑いも出ている。が、これは知的障害者の演技の稚拙さを嘲り笑っているのではない。実際に映画を見ていたわたしもそうだったが、気持ちよく笑えた。
  人を心地よく笑わせることができるというのは、いわば「コメディアン」の才能があることだと思う。つまり、障害がある無しというところを超えた部分の話であると思う。短編劇を演じた障害児の1人は、わざと大きな帽子をかぶって、わざとそれを目深にずり落ちさせると笑いが取れることに気が付き、実際に舞台でそれを何度もやって見せた。そのタイミングが絶妙だった。こうなるともう、知的障害があるとか無いとかいう問題ではなく、ただ単に、笑える。

 短編劇を演劇学校の舞台で上演したところで、映画は終了。知的障害児の、演劇を通じての心の成長を描いたドキュメンタリー映画だった。映画上映後、先生役を務めた演劇学校の生徒と、その講義の監督者であった代表者、映画の監督、そして実際に映画に出演していた障害児を舞台に迎えての質問会が行われた。館内に居た観客はわずかに30人足らず。質問する人は少なかった。中に、1人の女性が「彼らの演技を見た演劇学校の生徒達が笑っていましたが、あれは身障者だから笑ったのですか?」と鋭い質問を投げかけていた。どうやら彼女は、身障者を持つ母親だったらしい。

難しい問題ではあるけれど、「障害者」と「健常者」という今の現代社会に存在する枠組みを少しずつでも取り払えたら、と思う。一体どうやったら?わたしにはその方法すらわからないけれど。「知ること」が、まずその第一歩ではないかと思う。今回のこのドキュメンタリー映画を、少しでも多くの人に観てもらいたいと思った。「演ずること」を学ぶことによって成長してゆく彼らの姿を少しでも多くの人に観てもらいたいと思った。

 映画に出演していた男の子とわたしは映画を観る前に会話をしていたのですが、実際のところ、会話の中で「大きな障害」を感じることはありませんでした。彼の弟が言うには、お兄さんは「演技」を勉強することによって大きく成長し、今では社会に出て働いているんだとか。こういう成長度合いは個人差が大きいとしても、演劇がある種の効果を上げるのかもしれない、ということは十分に考えられると思った。
この映画はわたしに、まだまだ知らなければならないことが多いということを教えてくれた。そして、他の方々にももっとこういう世界を知って、そして考えるチャンスを持って欲しいと思った。わたしたちが将来持つ子供が障害者になる可能性が、無いとは言えないのだから。それは他人事ではなく、実は自分の身近な問題かもしれないのだから。

 こういう映画に出ている障害者の方たちは、主に軽度・中度の障害者だろうと思われます。重度の知的障害者となると、もっと深刻な問題なのだろうと思います。重度の知的障害ともなると、成長を望むことができるのかどうかすら、わたしにはわかりません。しかし、そういう世界を知らない「健常者」のいかに多いことか。知らなくても済む。それが健常者の世界ですが、自分が将来的に事故により障害を持つ身となるやもしれません。また、将来生まれてくる自分の子供が障害を持つ子かもしれません。まったくの他人事とは言えないと思うのです。まずは「知ること」が大事なのではないかと、そう思うのです。

●情報----------------------------------------------
「LA RENCONTRE」
Jean-Patrick Lebel 監督(2000年)
アートディレクター(演劇講義の監督) Rachid Akbal
製作開始は1997年と思われる。自主制作映画であり、2004年3月21日の夜に一度だけ単館劇場上映されたのみ。 今後の上映予定は未定。


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